湯ヶ島村(読み)ゆがしまむら

日本歴史地名大系 「湯ヶ島村」の解説

湯ヶ島村
ゆがしまむら

[現在地名]天城湯ヶ島町湯ヶ島

狩野かの川と源流である本谷ほんたに川の支流域に西平にしびら大滝おおたき長野ながの宿しゆくの四集落が点在する谷間の村。北は本谷川沿い下流に市山いちやま村、東は国士こくし峠で賀茂かも筏場いかだば(現中伊豆町)、南は下田街道天城峠越で同郡梨本なしもと(現河津町)に通じる。北条氏所領役帳に北条家臣御馬廻衆山角四郎左衛門康定の所領として二四貫文豆州狩野「湯ケ嶋」とある。

文禄三年(一五九四)七月晦日村内字西平で検地が行われ(「角右組豆州湯ヶ島村之内西平村田畑屋敷検地帳」足立家文書)、八月一日には湯ヶ島で検地が行われ、高一八三石余(文化元年写「弥四郎組豆州之内湯ヶ島郷御縄打手紙」同文書)。江戸時代初頭から幕府領、万治二年(一六五九)新田改があり新宿あらじゆく新田・茅野かやの(萱野)新田・金山かねやま新田で高一二石余(「年貢割付状」足立家文書)。寛文四年(一六六四)新田検地が行われ(延享三年「差出帳」同文書)、元禄初年高帳によると新田高一五石余。享保七年(一七二二)にも新田検地があり、延享三年(一七四六)には本田畑の田方一二町六反余・一四六石余、畑方一〇町余・六一石余、屋敷七反余・七石余。新田高三〇石余・四町三反余(同年差出帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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