日本歴史地名大系 「湯ヶ島村」の解説
湯ヶ島村
ゆがしまむら
文禄三年(一五九四)七月晦日村内字西平で検地が行われ(「角右組豆州湯ヶ島村之内西平村田畑屋敷検地帳」足立家文書)、八月一日には湯ヶ島で検地が行われ、高一八三石余(文化元年写「弥四郎組豆州之内湯ヶ島郷御縄打手紙」同文書)。江戸時代初頭から幕府領、万治二年(一六五九)に新田改があり
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
文禄三年(一五九四)七月晦日村内字西平で検地が行われ(「角右組豆州湯ヶ島村之内西平村田畑屋敷検地帳」足立家文書)、八月一日には湯ヶ島で検地が行われ、高一八三石余(文化元年写「弥四郎組豆州之内湯ヶ島郷御縄打手紙」同文書)。江戸時代初頭から幕府領、万治二年(一六五九)に新田改があり
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