日本歴史地名大系 「湯屋農人町」の解説 湯屋農人町ゆやのうにんまち 大阪府:堺市堺湯屋農人町[現在地名]堺市熊野(くまの)町東(ひがし)五丁湯屋寺(ゆやてら)町の東にあり、農人町筋を挟む両側町。元禄八年(一六九五)泉州堺之図(堺市立中央図書館蔵)に「中筋村」とみえ、堺廻り三ヵ村のうち中筋(なかすじ)村に田畑をもつ農民の居住区であった(→農人町)。同二年堺大絵図には「湯屋町農人町」とみえ、東頬・西頬各一三筆で、町会所は西頬の南寄りに所在。西頬北端は大心(だいしん)寺。また大小路(おおしようじ)橋の袂には高札場が描かれ、その北には河内国八上(やかみ)郡長曾根(ながそね)村の蔵屋敷があったが、延享三年(一七四六)召上げになり、年寄・庄屋の預地となった(元禄二年堺大絵図貼紙)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by