湯湾城跡(読み)ゆわんぐすくあと

日本歴史地名大系 「湯湾城跡」の解説

湯湾城跡
ゆわんぐすくあと

[現在地名]宇検村湯湾

グスク跡。地元ではグスクという。焼内やきうち湾奥の北側、同湾に流入する湯湾川の河口付近、湯湾集落背後の標高一八メートルを最高地点とする北東から南西に延びた丘の先端にある。「中山世譜」によると、与湾大親は住民からの信頼が厚く、そのため古見こみ間切の我利爺がこれを嫉妬し、尚清王に与湾大親が謀反を企んでいると偽情報を流し、万暦元年(一五三七)王自ら大島へ渡って与湾大親を討取ったという(これについては諸説ある)。この与湾大親のものという墓は湯湾岳の墓所にあり、湯湾にはトネヤ(ノロ信仰の男神の祭場)である白井氏宅があり、同氏が与湾大親の位牌を祀り、その墓を管理している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む