日本歴史地名大系 「湯湾村」の解説 湯湾村よわんむら 鹿児島県:大島郡笠利町湯湾村[現在地名]笠利町用安(ようあん)嘉瀬(きしえ)村の南に位置し、集落は海に南面する。西に神(かみ)ノ子(こ)、東に明神(みようがん)崎があるほか、湊城(にやーとぐすく)・大城(ふーぐすく)・山城(やまぐすく)などの地名がある。笠利(かさん)間切の笠利方のうちで、ユワンともいう。一六世紀前半に当地の一帯を支配していたという与湾大親を祀った神社があり、湊城のトフル(横穴式納骨堂)がその墓所であると伝える。神ノ子に向かう途中に湊城があり、与湾大親のものとされる墓所もある。 湯湾村ゆわんむら 鹿児島県:大島郡宇検村湯湾村[現在地名]宇検村湯湾 湯湾・石良(いしやら)田検(たきいん)村の南東に位置し、集落は焼内(やきうち)湾の最奥部に臨む。北東には湯湾岳が広がり、南西の須古(すく)村との境を河内(かわうち)川が西流する。屋喜内(やきうち)間切宇検(うきえん)方のうちで、地内東方に石良がある。隆慶六年(一五七二)一月一八日の琉球辞令書(和真一郎氏所蔵文書)に「屋けうちまきりの屋けうち」とみえ、その大屋子職に「屋まとはま」(現大和村)の「めさし」(目差職)が任じられているが、この「屋けうち」を当地とする説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by