湾商(読み)わんしょう(英語表記)mansang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湾商」の意味・わかりやすい解説

湾商
わんしょう
mansang

朝鮮,義州の貿易商人の称。義州は現在の平安北道義州郡義州邑で,鴨緑江河口近くにあり,高麗~朝鮮王朝 (李朝) 時代に中国との通交要衝で,その国際貿易の市場でもあった。義州の雅称を竜湾といったことから,義州の商人たちを湾商という。朝鮮王朝初期以前には私的な貿易が小規模に行われていたが,宣祖 26 (1592) 年から光海君1 (1608) 年の間は,鴨緑江の中洲を市場として公的な貿易が行われ,仁祖 16 (38) 年以降,清国との間に市場が再開された。官貿易であったが,やがて私的な貿易も盛んとなり,これを後市といった。孝宗8 (57) 年より鳳凰城 (中国遼寧省丹東市鳳城) 柵門で従来の使臣との交易が行われ,粛宗 15 (89) ~16年より使臣の貨物を運搬する欄頭との交易まで盛んに行われた。また湾商は遣清使節に随行する特権をもち,17世紀後半から 19世紀なかばにいたる間は中国貿易に中心的活躍をしたが,朝鮮の開国以後衰滅した。

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世界大百科事典(旧版)内の湾商の言及

【新義州】より

…また平安北道の道都として,西北朝鮮の政治・経済の中心地をなす。李朝時代までは,新義州から鴨緑江の上流19kmの距離にある義州に国境防備の要地として軍営が設置され,また中国との間に国境貿易が行われ,湾商とよばれる義州商人が活躍するなど,義州がこの地域の中心地であった。1906年,日露戦争を契機に京義鉄道がソウルから新義州まで開通し,また対岸の安東市とを結ぶ鴨緑江鉄橋(944m)が1911年に完成すると,経済はもちろん行政の中心も新義州に移り,義州は山間の小都市に後退した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」