日本歴史地名大系 「満喜世村」の解説 満喜世村まんじゆむら 沖縄県:沖縄島中部沖縄市満喜世村[現在地名]沖縄市高原(たかはら)高原(たきばる)村の集落南側に満喜世(まんじゆ)之殿とよばれる拝所があること、里積記に嵩原(たきばる)(高原)・満喜世と併記されていることから、当村は高原村満喜世之殿一帯にあったと思われる。「琉球国由来記」に村名がみえるが、「琉球国旧記」にはみえない。マンジュとよばれる。里積記によれば田畑とも中の村位。脇地頭は康熙八年(一六六九)から同一四年まで満喜世親雲上幸清(呉氏久高家五代)の任職が確認できるのみである(呉姓久高家家譜)。ただし当村は地頭代を含む夫地頭の村で、地方役人のオエカ地が置かれていた。村内の満喜世之殿では稲二祭のとき満喜世大屋子が花米・五水・神酒・筵、満喜世村百姓中が神酒を供えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報