日本歴史地名大系 「高原村」の解説
高原村
たかはらむら
高原村
たかはらむら
高原村
たかはらむら
高原村
たかはらむら
[現在地名]川上村大字高原・高原土場
吉野川の支流、高原川の左岸台地に立地。川上郷のうち。文禄四年(一五九五)の検地奉行は八嶋久兵衛。水田はなく、畑方だけの村である。慶長郷帳の村高一八二・二八石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地により村高は一八一・三五九石と減石した。享保六年(一七二一)の郷鑑帳(高原区有文書)によると、反別一四町八反一〇歩のうち上畑はなく、中畑一町八反三畝二二歩、下畑六反八畝六歩、下々畑五反九畝四歩、下々山畑八畝一二歩(猪鹿喰荒しにより小杉植込み杉山に仕立てる)で、ほかに楮畑・茶畑がみられ、小物成として山役銀一三八匁、栢役銀三一・三匁、藪役六匁、諸木御口役運上銀一一八・二一匁がある。
高原村
たきばるむら
高原村
こうはらむら
高原村
たかはらむら
高原村
たかはらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報