朝日日本歴史人物事典 「源俊方」の解説
源俊方
平安後期,伊賀国(三重県)名張郡司近国の子。名張郡司として一帯に勢力を握って,簗瀬保(名張市)や黒田荘(名張市)の荘官となっていたが,東大寺の黒田荘預所覚仁と対立し,応保1(1161)年に追放される。その後,黒田荘が東大寺の荘園として確立する院庁下文が出されると,安元1(1175)年に荘内に乱入し,その後も乱入を繰り返した。<参考文献>石母田正『中世的世界の形成』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報