源太夫堀
げんだゆうぼり
浜松市南東部、天竜川河口近くの五島地区を流れる水路。享保年間(一七一六―三六)浜松藩主本庄松平家の家臣小笠原源太夫基長が普請奉行となり、新田の灌漑用水路および悪水堀、また掛塚湊(現竜洋町)と浜松城下を結ぶ水路として開削された。馬込川と天竜川河口を東西に結び、江之島村付近のいわゆる五島新田五〇余町を潤した。新羅大明神祠記(山田家文書)には享保年間に小笠原源太夫が五島新田を開発したとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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