日本歴史地名大系 「溝杭村」の解説 溝杭村みぞくいむら 大阪府:茨木市溝杭村[現在地名]茨木市寺田(てらだ)町・星見(ほしみ)町・目垣(めがき)一―三丁目・玉島(たましま)一―二丁目・平田(ひらた)一―二丁目など中世溝杭庄の地域は近世初期に溝杭村と称され、その中にできた馬場(ばば)・二階堂(にかいどう)・目垣・十一(じゆういち)・平田の五小村は、江戸中期にそれぞれ独立村として分村した。溝杭庄の開発領主であった溝杭氏は、戦国の動乱のなかでしだいに在地性を失っていき、永禄一一年(一五六八)に将軍足利義昭を奉じて入京した織田信長は、翌一二年一〇月一五日溝杭村地頭名半分を伊勢貞倍に安堵(「織田信長文書研究」所収伊勢文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by