日本歴史地名大系 「溝杭庄」の解説
溝杭庄
みぞくいのしよう
- 大阪府:茨木市
- 溝杭庄
院領についてみると、建久三年(一一九二)三月日付の後白河院庁下文案(山城大徳寺文書)に「摂津国志宜寺并溝杭御祈願所清浄心院領」とみえる。この下文案は後白河院の妃高階栄子の所領に大嘗会役以下の勅院事国役などの賦課停止を命じたものであるが、これらの所領は相伝あるいは寄進されたもので、二位家(栄子)領掌後「歳月已尚」とある。ただ前年一〇月日付の長講堂所領注文(島田文書)には「志宜寺」のみみえて溝杭の記載はないので、高階栄子が後白河院の祈願所である清浄心院に寄進した時期は両庄同時ではなく、溝杭庄は建久三年当初と思われ、清浄心院を本所とし、高階栄子は領家として同庄を知行したと考えられる。その後、貞応三年(一二二四)八月頃の宣陽門院所領目録(同文書)には、庁分のうちに「摂津国志宜寺卿二位家
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報