溝片河(読み)みぞかたこう

日本歴史地名大系 「溝片河」の解説

溝片河
みぞかたこう

[現在地名]津和野町鷲原わしばら

杉片河すぎかたこうの東、清水本しみずほん通に続く南北道の東側の家中屋敷町。東から南は津和野川沿いに築かれた芝土手を境とし、その南は清水町。寛永一三年(一六三六)の新屋敷渡帳(津和野町郷土館蔵)にみえる中間ちゆうげん町に比定される。元禄期城下侍屋敷等絵図(同館蔵)では四筋の東西道があり、持筒組・御手廻組・長柄組に属する足軽屋敷、および中級家臣屋敷が並ぶ。四筋のうち最南の道は津和野川に架かるしん橋を渡り、中座なかざ村に形成された下級武士(足軽)屋敷町に通じていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む