漁生浦郷(読み)りようせがうらごう

日本歴史地名大系 「漁生浦郷」の解説

漁生浦郷
りようせがうらごう

[現在地名]若松町漁生浦郷りようせうらごう

若松島の北西にある漁生浦島を郷域とする。権現ごんげん崎・いぬ崎・もどり崎などがある。古くは猟尽りようつき島と称し、慶長国絵図に「猟尽」とみえ、高一石余。元文五年(一七四〇)縁起をかついで漁生ヶ浦に改めたという(「日ノ島代官旧記」入江文書)。家船などが寄せる浦で、享保一五年(一七三〇)宿之浦しゆくのうら網代に出漁したところ御菜網をとがめられたので福江藩提訴、藩は旧記に従ってその網代が猟尽の家職場であることを認めている(若松町誌)。宝暦五年(一七五五)の寺社祠辻堂知行付(五島編年史)には薬師・天神・乙宮が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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