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福江藩 ふくえはん

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百科事典マイペディアの解説

福江藩【ふくえはん】

肥前国松浦(まつら)郡(五島)に所領を置いた外様小藩。藩政庁は福江城(石田城とも)で,現長崎県五島市に遺構をとどめる。藩主は中世以来の五島氏(宇久氏)で,明治維新期まで変わらない。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

ふくえはん【福江藩】

江戸時代肥前(ひぜん)国南松浦(みなみまつら)郡福江(現、長崎県五島市福江町)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は育英館。五島(ごとう)列島を支配していたのは水軍(すいぐん)の松浦党(まつらとう)に属した宇久(うく)氏で、1587年(天正(てんしょう)15)に九州征服を成し遂げた豊臣秀吉(とよとみひでよし)から宇久純玄(すみはる)が所領を安堵(あんど)された。純玄は、92年(文禄1)に姓を五島(ごとう)に改め朝鮮出兵中に病死、代わって純玄の叔父に当たる五島玄雅(はるまさ)が家督を継承した。玄雅は、関ヶ原の戦い後の1603年(慶長(けいちょう)8)、徳川家康(とくがわいえやす)から所領を安堵され、これにより福江藩が成立した。1660年(万治(まんじ)3)、4代藩主が幼少のため、その後見人の盛清(もりきよ)に福江島南端の所領3000石が分与され、富江(とみえ)領ができた。福江藩と富江領との間で漁業権問題が発生したが、入会(いりあい)制とする幕府の決裁により問題解決がはかられ、捕鯨による収入がその後の福江藩の財政を支えた。五島氏による支配は明治維新まで12代続き、1870年(明治3)に富江領を合併、翌71年の廃藩置県により、福江県を経て長崎県に編入された。◇五島藩ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふくえはん【福江藩】

肥前国(長崎県)南松浦郡福江に藩庁を置いた外様小藩。藩主は五島氏。1万2530石。五島藩ともいう。松浦党(まつらとう)の成員であった五島列島北端の宇久氏は,南端の福江島進出を契機として海上貿易権を掌中に収め,有力な在地領主を同族化することによって五島列島の統一に成功し,1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は1万5530石。1655年(明暦1)5代藩主盛勝のとき,叔父盛清に3000石(富江領)を分知してから1万2530石となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福江藩
ふくえはん

五島藩」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福江藩
ふくえはん

肥前(ひぜん)国福江島(長崎県五島(ごとう)市)に居城を置き、五島列島の大半を領有した外様(とざま)藩。五島藩ともいう。五島列島を支配していた宇久純玄(うくすみはる)は、1587年(天正15)に豊臣(とよとみ)秀吉から所領を安堵(あんど)された(表高1万5530石余)。92年(文禄1)に純玄は姓を五島に改めた。1619年(元和5)に継嗣(けいし)をめぐって争いが起こり、幕府の裁断で盛利(もりとし)の藩主権が確定した。以後、盛利は家臣の城下集住を断行し、35年(寛永12)に領内検地を行った。捕鯨業盛時のおりは、その運上銀が貴重な藩財政収入となった。61年(寛文1)に福江島南端の富江(とみえ)ほか7か村3000余石が、4代藩主盛勝(もりかつ)の叔父で後見役であった盛清(もりきよ)に分知され富江領が成立した。この分知後、漁業権をめぐって福江藩と富江領間で争いが起こり、幕府の裁断で決着した。低生産力地帯であったために徹底した人改(ひとあらため)が行われた。
 1834年(天保5)には産物会所が設けられ財政収入の増加が図られた。1867年(慶応3)異国船警備、薪水(しんすい)供与費用捻出(ねんしゅつ)のため富江領を併合する動きが出たために富江領民が一揆(いっき)を起こしたが、幕府は富江領主に北海道後志(しりべし)国に領地1000石を与え富江領を福江藩に合併させた。明治に至り、福江県を経て長崎県に編入。[長野 暹]

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