網代(読み)あじろ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

網代
あじろ

静岡県東部,熱海市南端の集落。旧町名。 1957年熱海市に編入江戸時代廻船寄港地として栄えた。 1937年,網代温泉が開発された。海岸には人工の海水浴場がある。

網代
あじろ

(1) 御厨子所 (みずしどころ) 領に多くみられ,天皇供御を奉るため網を使って漁猟をするところ。また漁網に対して配当される収益
(2) 薄くはいだ竹などを素材にして編んだものをいい,敷物や壁などに用いる。その歴史は古く,縄文時代後期からみられる。

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デジタル大辞泉の解説

あ‐じろ【網代】

《網の代わりの意》
定置網の漁場。また、いつも魚群が集まってくる場所。
湖や川に柴(しば)や竹を細かく立て並べ、魚を簀(す)の中へ誘い込んでとる仕掛け。冬の宇治川氷魚(ひお)漁が古くから有名。 冬》「鳥鳴て水音くるる―かな/蕪村
杉・檜(ひのき)・竹などの細い薄板を、互い違いにくぐらせて編んだもの。天井・垣根・笠などに使用。
網代車」の略。

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百科事典マイペディアの解説

網代【あじろ】

静岡県熱海市南部の旧町。江戸時代から回船寄港地,漁港として栄え沿岸漁業が活発。網代(南熱海)温泉(食塩泉,60〜70℃)があり,磯釣,海水浴にも適する。伊東線が通じる。
→関連項目熱海[市]

網代【あじろ】

(1)網漁具の一種。水中に木やを編んで立て,魚を追い込んでとる仕掛け。(2)上記(1)を置いた場所。地名に転化した例が多い。特に宇治川・瀬田川のものが古来有名。なお,木竹のほか垣網併用のものとしては江戸中期に現れた霞ヶ浦北浦の入口,利根川河口も。(3)竹,アシヒノキ等を薄く細長くし,縦横または斜めに編んだ網状のもの,およびその意匠。編筵(あむしろ)より転じたもので,障壁,戸,天井(特に茶室)のほか,屏風(びょうぶ),笠,輿(こし),牛車などに用いられる。

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世界大百科事典 第2版の解説

あじろ【網代】

(1)漁具の名称 (a)宇治川・瀬田川に設置され,木の杭を左右に立ち並べ,中間にを張った(やな)。その漁人は古くから天皇に(にえ)を貢献した。宇治網代は《万葉集》に〈八十氏河の網代木〉とみえ,田上網代は883年(元慶7)の官符に近江国の内膳司御厨として現れる。《延喜内膳司式》に山城・近江の氷魚網代が9月から12月30日まで氷魚を貢すとあり,《西宮記》には,田上網代は氷魚,宇治網代は鮎を毎日進めたとある。

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大辞林 第三版の解説

あじろ【網代】

〔網の代わり、の意〕
冬、竹または木を組み並べて網を引く形に川の瀬に仕掛け、端に簀を取りつけて魚をとる設備。 [季] 冬。
ひのきのへぎ板・竹・葦あしなどを、斜めまたは縦横に組んだもの。垣・天井などに用いる。
網漁業の漁場。
「網代車」の略。 「 -ははしらせたる/枕草子 32

あみしろ【網代】

漁業経営で、漁網に対する漁獲物の配分。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔静岡県〕網代(あじろ)


静岡県熱海(あたみ)市南部の地区。網代湾に面した漁業の町だったが、近年は温泉街としても発展。網代港はイワシ漁やサバ漁が盛ん。第二次大戦後、西隣の下多賀(しもたが)地区にかけて温泉が湧出(ゆうしゅつ)。網代温泉(南熱海温泉)と名付けられ、旅館・民宿が集中。海水浴・磯(いそ)釣りができる。

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精選版 日本国語大辞典の解説

あ‐じろ【網代】

〘名〙
① 漁網を打つべき場所。漁場。建場。
② 川の瀬に設ける魚とりの設備。数百の杭(くい)を網を引く形に打ち並べ、その杭に経緯を入れ、その終端に筌(うけ)などを備えた簗(やな)のようなもの。冬、京都の宇治川で、氷魚(ひお)を捕えるのに用いたので、古来有名。あむしろ。あんしろ。《季・冬》
※万葉(8C後)七・一一三七「宇治人の譬への足白(あじろ)われならば今はならまし木屑(こつみ)来ずとも」
※枕(10C終)二五「昼ほゆる犬、春のあじろ」
③ (①から転じて) 魚類が多く集まって、漁に好適の場所。
※都の友へ、B生より(1907)〈国木田独歩〉「僕の発見(みつけ)た場所はボズさんのあじろの一つ」
④ 官名。御厨子所(みずしどころ)の膳部に属し、天皇の食事用などの魚類をとる者。
⑤ 檜皮(ひわだ)、竹、葦(あし)などを薄く細く削り、交差させながら編んだもの。垣、屏風、天井、車、輿(こし)、団扇(うちわ)、笠などに用いる。
※能因本枕(10C終)一〇四「をのこどもも、いみじうわづらひつつ、あしろをさへつきうがちつつ」
⑥ ⑤にかたどった模様。
※浮世草子・好色二代男(1684)八「孔雀織網代(アシロ)舛形(ますかた)やうきひ和国などの大袖にて」
⑦ 近世、漁業の漁獲高分配法の一つ。漁網に対して配当される収益。
※落窪(10C後)二「ふるめかしき檳榔毛(びりゃうげ)ひとつ、あじろひとつ立てり」
※雑俳・柳多留‐一九(1784)「あじろから百旦那へは手をくれる」
[語誌]②は、王朝貴族にとっては、宇治の冬の風物詩であり、遊覧や初瀬詣での行き帰りの見物であった。氷魚を捕る仕掛けなので、和歌では「氷魚」に「日を」を掛け、「寄る」を縁語として詠まれる。「拾遺集」の「数ならぬ身をうぢ河のあしろ木に多くの日をも過ぐしつる哉〈よみ人知らず〉」〔恋三・八四三〕のように、男の夜の通いがとだえるのを嘆く女の歌に詠みこまれることが多い。

あみ‐しろ【網代】

〘名〙 漁業経営で、漁獲高のうち漁網に対する配分をいう。

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世界大百科事典内の網代の言及

【網代】より

…その漁人は古くから天皇に(にえ)を貢献した。宇治網代は《万葉集》に〈八十氏河の網代木〉とみえ,田上網代は883年(元慶7)の官符に近江国の内膳司御厨として現れる。《延喜内膳司式》に山城・近江の氷魚網代が9月から12月30日まで氷魚を貢すとあり,《西宮記》には,田上網代は氷魚,宇治網代は鮎を毎日進めたとある。…

【網代車】より

…平安・鎌倉時代に公家が使用した牛車(ぎつしや)の一種。屋形(車の箱)を竹やヒノキの薄板で網代に組んで覆ってあることからこの名称がある。大臣・納言等の公卿が直衣を着用しているときや,褻(け)のときあるいは遠所へ行くときに用いた。…

※「網代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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