日本歴史地名大系 「瀬古口村」の解説 瀬古口村せこぐちむら 三重県:名張市瀬古口村[現在地名]名張市瀬古口・百合が丘東(ゆりがおかひがし)一―二番町・百合が丘西(ゆりがおかにし)一番町中(なか)村の北、名張川と宇陀(うだ)川に挟まれた平坦な地域で、一面に田畠が開け、集落はおもに名張川沿いに集まる。黒田(くろだ)出作新庄中村の四至北限にあたる所であった。正和元年(一三一二)沙弥本修らが東大寺大仏灯油料田として「黒田庄内字世古口」にあった田畠を寄進している(同年四月日「沙弥本修等田地寄進状」東大寺文書)。長承三年(一一三四)七月の伊賀国矢河中村夏見公畠取帳(筒井英俊氏所蔵文書)の中村条是吉(これよし)名のなかにみえる「黒石垣内」なる地名は、中村域内の俗称二本松(にほんまつ)から瀬古口に至る道路の中間東側の小字黒石(くろいし)をさすと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by