日本歴史地名大系 「瀬戸木場村」の解説
瀬戸木場村
せとこばむら
[現在地名]厳木町大字瀬戸木場
秀島鼓渓覚書に「居石内蔵允、前、賢両君に仕へ、瀬戸木場に住し、南口の固めをなす。弟蔵人と軍功あり」と記す。慶長絵図に「広瀬ノ内 瀬戸古場」とあるのが村名の初見である。居石氏は鶴田氏が
瀬戸木場村の集落構成をみると、元和二年(一六一六)家数八、延享元年(一七四四)家数一五、人数五九人、宝暦二年(一七五二)家数一五、人数六三人、文化一三年(一八一六)家数一六、人数七三人、文政二年(一八一九)家数一六、人数八二人となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報