20世紀日本人名事典 「瀬長 亀次郎」の解説
瀬長 亀次郎
セナガ カメジロウ
昭和・平成期の政治家 日本共産党名誉幹部会委員;元・衆院議員。
- 生年
- 明治40(1907)年6月10日
- 没年
- 平成13(2001)年10月5日
- 出生地
- 沖縄県島尻郡豊見城村
- 学歴〔年〕
- 七高理科(旧制)中退
- 主な受賞名〔年〕
- ジョリオ・キュリー平和賞(フランス)〔昭和44年〕
- 経歴
- 戦前は京浜地区で労働運動に参加、治安維持法違反で3年の刑を受けた。のち沖縄朝日新聞の記者、毎日新聞那覇支局員。戦後21年「うるま新報」(現・琉球新報社)社長となる。22年沖縄人民党を結成し、書記長となり、以後政治運動に専念、沖縄の革新勢力のリーダーとして活躍した。27年初の立法院議員選挙で最高得票を獲得し琉球政府立法院議員に当選、就任式典では居並ぶ米軍高官を前に宣誓を拒否した。29年米軍による同党弾圧で2年間投獄された。31年武力による米軍用地の強制収用に抵抗する“島ぐるみ闘争”の中で圧倒的な人気で那覇市長に当選したが、わずか10ケ月で米軍から追放された。45年初の国政参加選挙から衆院議員に当選。48年沖縄人民党は日本共産党に合流、党幹部会副委員長となる。連続7期務め、平成2年引退。地元では沖縄革新の顔として“カメさん”の愛称で親しまれた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報