フランス

精選版 日本国語大辞典 「フランス」の意味・読み・例文・類語

フランス

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デジタル大辞泉 「フランス」の意味・読み・例文・類語

フランス(Anatole France)

[1844~1924]フランスの小説家批評家。軽妙・辛辣な社会風刺が特色晩年社会主義接近。1921年ノーベル文学賞受賞。小説タイス」「赤い百合」、評論文学生活」など。アナトール=フランス。

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百科事典マイペディア 「フランス」の意味・わかりやすい解説

フランス

◎正式名称−フランス共和国French Republic。◎面積−54万3965km2本国のみ)。◎人口−6393万人(2014,本国のみ)。◎首都−パリParis(218万人,2006)。◎住民−フランス人がほとんど,ほかにバスク人,ブルトン人,プロバンス人,コルシカ人など。◎宗教−カトリック約80%,イスラムプロテスタント。◎言語−フランス語(公用語)が大部分,ほかにバスク語ブルトン語など。◎通貨−ユーロEuro。◎元首−大統領,オランド Francois Hollande(1954年生れ,2012年5月就任,任期5年)。◎首相−マニュエル・バルスManuel Carlos Valls(2014年8月第二次内閣発足)。◎憲法−1958年10月制定の第五共和政憲法,1962年11月改正(大統領を直接国民投票で選出)。◎国会−二院制。上院(定員348,任期6年,3年ごとに半分改選)。国民議会(定員577,任期5年)。◎GDP−2兆1303億ドル(2008)。◎1人当りGDP−3万4208ドル(2008)。◎農林・漁業就業者比率−2.9%(2003)。◎平均寿命−男77.7歳,女84.4歳(2009)。◎乳児死亡率−3‰(2010)。◎識字率−99%。    *    *ヨーロッパ大陸西部共和国。本国のほかに海外県(グアドループ島,フランス領ギアナマルティニク島,レユニオン島),海外領土(ニューカレドニアフランス領ポリネシアなど)はあわせて15万7116km2,約200万人。〔自然・住民〕 国土はほぼ東経8°〜西経5°,北緯41°〜51°の温帯に位置する。南は地中海に,西は大西洋に面し,イギリス,ドーバーの両海峡を隔てて英国と対する。概して東半に山地が多く,西半は低平。南東部の,スイスおよびイタリアとの国境にアルプス山脈,ジュラ山脈が延び,ソーヌ川とローヌ川がいわゆるローヌ回廊を形成して南流している。南西部スペインとの国境をピレネー山脈が走る。アルプスとピレネーとの間にマシフ・サントラル(中央山地)があり,北東部のドイツとの国境に近いボージュ山地,北部のアルデンヌ山地に連なる。最高点はモン・ブラン山(4807m)。北部中央にパリ盆地が広がり,その南部をロアール川,中央部をセーヌ川が貫流する。パリ盆地の東の周辺部にはケスタ地形が発達している。大西洋にコタンタン半島,ブルターニュ半島が突出する。マシフ・サントラルの西方,ビスケー湾岸に至るまでの地域はアキテーヌ盆地で,ガロンヌ川が北西流する。ビスケー湾岸には潟湖が多い。気候は西部〜北西部が温帯多雨気候,東部は大陸性気候,南部は地中海式気候を示す。住民はフランス人が主で,公用語はフランス語であるが,一部ではバスク語ブルトン語フラマン語,ドイツ語も用いられる。アラブや黒人をはじめ旧植民地からの移住者も多い。とくにイスラム人口はEU最大の規模で,異文化に対する民族間の摩擦が表面化している。〔歴史〕 前9世紀ころからケルト人が居住,前2世紀ローマの属領となった。5世紀には民族大移動でフランク族が侵入してフランク王国を建て,9世紀初めシャルルマーニュ(カール大帝)の下で西欧一帯にわたる大国となった。843年ベルダン条約で王国が分裂した後は,西フランク王国の治下で独自の文化・民族を形成し,後世のフランスの基礎が作られた。10世紀カペー朝成立後,封建制社会が確立され,11〜12世紀に荘園制は盛期を迎えた。14〜15世紀半ばの百年戦争期に王権は著しく衰えたが,国内のイギリス領奪回に成功し,また領主制の衰退により,王権は強まった。16世紀ユグノー戦争を経てブルボン朝(ブルボン家)が成立,17世紀には絶対主義の全盛期を迎え,ルイ14世治下でヨーロッパの国際政治・文化に指導的地位を獲得した。18世紀末フランス革命を経て近代社会が成立し,ナポレオン1世治下(第一帝政)で全ヨーロッパに覇権を確立した。19世紀前半,1830年の七月革命,1848年の二月革命を経て経済的に発展,ナポレオン3世治下(第二帝政)で産業革命が完成した。普仏戦争に敗れて1870年帝政は崩壊,第三共和政が始まり,パリ・コミューンが出現した。以後帝国主義的政策を推進したが,1940年ナチス・ドイツに占領され,南フランスはペタンのビシー体制のもとに置かれた。第2次大戦後第四,第五共和政が成立し,現在に至っている。〔産業〕 第2次大戦後,数次の経済計画によって基礎産業の復興,次いで重化学工業の発展が図られたが,ドイツや日本に比して経済成長率の伸びは小さい。1981年に成立した左翼連合政権は,基幹産業部門での国有化を進めた。しかしその後に成立した保守連合内閣の下では,国有化した企業の再民営化が行われている。主要工業地帯はフランドル(繊維,鉄鋼,化学,機械),アルザス(繊維),ロレーヌ(鉄鋼,石炭),パリ(繊維,各種装飾品,食品加工,印刷・出版,機械,自動車),リヨンサンテティエンヌ(絹織物,機械,化学,鉄鋼),マルセイユ(化学,造船),トゥールーズ(航空機)など。工業では中小企業が多いのが一つの特徴である。鉄,石炭,石油・天然ガス,ボーキサイトなどの資源がある。原子力発電炉を60基近く持ち,原発依存度が高く,原発プラントの海外輸出を積極的に推進する原発大国である。2011年3月の福島第一原発の大事故の際に,サルコジ大統領は,世界最大の原子力複合企業アレバの代表をともなって来任,積極的な支援を日本に申し出ている。他方,EU最大の農業国でもあり,耕地面積は全土の約36%。農業の中心はパリ盆地,アキテーヌ盆地で,小麦,大麦,エンバク,トウモロコシ,ジャガイモ,テンサイの産が多い。ノルマンディーを中心に牛,馬,羊の牧畜も盛んで,チーズの産が知られる。シャンパーニュボルドーを中心にブドウ栽培が行われ,ブドウ酒の生産では世界屈指。EU諸国中でもドイツとの貿易が多く,鉄鉱,織物,ブドウ酒を輸出,石炭,羊毛,綿花などを輸入する。1999年のユーロ圏発足に参加している。〔行政・軍事〕 行政は中央集権的で,全国は96の県(デパルトマン)に分けられている。裁判所の制度では行政裁判所と司法裁判所が別個の系統で独立している。義務兵役制で,陸海空あわせて26万人(2005)の兵力をもつ。北大西洋条約機構(NATO)に加盟。独自の核兵器を装備している。1992年からドイツ,フランスの合意にもとづいて〈欧州軍団〉を発足させ,ベルギー,スペインなども参加している。義務教育は10年間。〔政治・経済〕 1958年第五共和政憲法制定。元首は大統領(直接普通選挙で選出,任期は7年であったが,2000年9月に行われた国民投票の結果,5年に短縮された。任期7年はシラク大統領まで),国会は国民議会(定数577,任期5年,小選挙区制の直接選挙で選出)と上院(定数321,任期9年,間接選挙で選出)の二院制。第2次大戦後,第四共和政下では議会の権限が強く,小党派が分立,政権の交代がひんぱんで,インドシナやアルジェリアの植民地独立運動に十分対処できなかった。第五共和政では大統領の権限が強化され,ド・ゴールの下に結集した新共和国連合が第1党となり,政局は比較的安定,ヨーロッパ中心の独自の外交政策を展開した。1969年ド・ゴールが退陣,その政策を継承したポンピドゥーの死(1974年)によってド・ゴール体制は終わった。後任のジスカール・デスタン(共和党)は,対外的にはヨーロッパの結束の中で主導権を確保する発想へと転換した。1981年の大統領選挙ではフランス社会党ミッテランが当選し,1988年再選された。1995年の大統領選挙ではド・ゴール派の流れをくむ保守・中道のシラクが勝利したが,1997年総選挙では社会党が勝ちジョスパン内閣が発足し,保革共存政権が生まれた。この間1980年代以降,外国人労働者排斥をかかげる極右政党の国民戦線(1972年結成)が勢力を伸ばした。2002年総選挙で保守・中道連合が勝利し,保革共存政権は解消した。2002年11月,右派が結集して民衆運動連合(UMP。シラク大統領の支持母体)を結成。2007年の大統領選挙では,国民運動連合党首のサルコジが当選し,初の戦後生れの指導者となった。2008年米国金融危機に端を発する世界同時不況で大きな打撃を受け失業率も急増,サルコジ政権は260億ユーロの経済活性化対策を発表。さらに2009年26億ユーロに及ぶ所得減税策を打ち出すなど,不況克服対策に追われた。その結果財政赤字が再び増加傾向となり,EU基準値を超え,欧州委員会から財政立て直しの勧告を受けた。2010年ギリシアの財政破綻に端を発する,欧州信用不安,ユーロ危機ソブリンリスクでは,サルコジはドイツのメルケルと協調して,EU,IMFによるギリシア支援を主導し,緊縮財政を進めたが,2012年5月の大統領選挙で雇用創出,富裕層への課税強化など格差解消の中道左派政策をかかげる社会党のオランドがサルコジとの決戦投票で勝利し,17年ぶりに左派の大統領となった。オランドはユーロ危機・欧州債務問題のなか,ドイツを中心にEUが進める財政再建に協調路線をとりながら,財政赤字削減の推進と,EUレベルにおける緊縮政策一辺倒でなく成長戦略の重要性を訴え,各国で一定の共通認識を得ることに成功した。発足当初は上下両院で左派が過半数を占め,安定した政権運営を実現したが,景気回復の遅れ,失業率の高止まり等から支持率が低迷し,2014年の市町村議会議員選,欧州議会議員選,上院議員選,2015年の県議会議員選のいずれにおいても与党が大敗した。2014年4月にオランドはエロー首相を更迭,バルス内相を首相に任命した。バルス首相は公的歳出の削減や雇用創出の推進,減税などを打ち出すと表明,公約実現に向けた取組みが進められたが,政権運営の先行きは依然として不透明なままである。法案の最終議決権を有する下院では今なお与党が絶対過半数を上回る議席を有しているが,政権発足当初に連立を組んでいたヨーロッパ・エコロジー=緑の党(環境政党)が2014年4月以降閣外協力に転じ,現在も連立政権を構成するのは急進左派党(中道左派)のみとなっているほか,与党社会党内でも造反機運がくすぶるなど,政権基盤は徐々に不安定化している。経済政策においては,労働コストの削減と企業の雇用創出義務を両軸とする〈責任協定〉を打ち出し,経済成長を重視する一方,歳出削減による財政再建路線を堅持,2017年の財政収支目標達成(一般政府財政収支対GDP比マイナス3%以内)を目指している。2014年1月には企業の社会保険料負担軽減が発表されるなど,労働コスト削減による企業の競争力回復を主眼とする経済政策(〈責任協定〉)を実施。財政収支については改善が見られているが,2015年〜2017年には累計500億ユーロの歳出削減が予定されているものの,成長鈍化と低インフレ状況から,2015年予算法では財政収支対GDP比マイナス3%以内という目標の達成を2015年から2017年に延期した。失業率は依然10%をこえ高い水準である。2015年1月には〈成長と活動のための法律案〉(通称〈マクロン法〉)を国会に提出し,より市場競争を重視する改革を志向している。外交・軍事では,国内の低迷する経済状況をも踏まえ,輸出促進・対仏投資誘致を目指して〈経済外交〉を推進する一方,2013年1月,西アフリカ・マリの暫定政府の要請を受けてイスラム武装勢力を攻撃,空爆を中心に軍事介入を実行した。2015年1月,パリで,週刊新聞シャルリー・エブドの事務所がアルジェリア系フランス人のジハード主義者に襲撃され,さらに連続して警官襲撃,ユダヤ食品スーパー襲撃と多数の死傷者を出すテロ事件が起こった。犠牲者の追悼と〈言論表現の自由〉を擁護するための大行進がフランス各地で行われ,各国首脳を含む370万以上の人々が参加した。
→関連項目アルベールビルオリンピック(1992年)アンドラオランジュグルノーブルオリンピック(1968年)サンテミリオンシャモニー・モンブランオリンピック(1924年)パリオリンピック(1900年)パリオリンピック(1924年)反格差社会運動

フランス

フランスの作家。本名アナトール・フランソア・ティボー。高踏派詩人として出発したが,1881年小説《シルベストル・ボナールの罪》で名声を確立した。《鳥料理レーヌ・ペドーク亭》《ジェローム・コアニャール氏の意見》などの小説は,博識と懐疑主義,平明軽妙な文体を特徴とする。一方《タン》紙に文芸批評を連載,印象批評の雄とされる。これは《文学生活》に収められた。ドレフュス事件を機に社会主義に傾き,4部作《現代史》,《クランクビーユ》《神々は渇く》などを発表。短編も多い。1921年ノーベル文学賞受賞。
→関連項目ルメートル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランス」の意味・わかりやすい解説

フランス
France

正式名称 フランス共和国 République Française。
面積 54万3941km2(フランス本国のみ。海外県・海外領は除く)。
人口 6540万4000(2021推計。フランス本国のみ。海外県・海外領は除く)。
首都 パリ

ヨーロッパ西部にある国。南西部はピレネー山脈を挟んでスペインと接し,東部はアルプスイタリアと,ジュラ山脈スイスと,ライン川を隔ててドイツと接し,北東部はフランドル平野およびアルデンヌ高地でベルギールクセンブルクと接する。ピレネー,アルプス,ジュラの諸山脈はアルプス造山運動によるもので,高峻な山系を形成,交通の障害をなす一方,観光・保養地も提供している。これに対し,西端のアルモリカ地塊,中部南寄りのマシフサントラル,東部のボージュ山地などからなる V字形のヘルシニア系山地は中・低山性で,鉄,石炭などの資源に恵まれている。この V字形の北にパリ盆地,東にローヌ=ソーヌ河谷平野,西にアキテーヌ盆地がある。地中海に注ぐローヌ川を除くと,セーヌ川ロアール川ガロンヌ川など,イギリス海峡大西洋に注ぐ諸河川は,一般に流路が長く,流れもゆるやかで,古くから交通上,産業上重要な役割を果たし,それらを結ぶ運河網も発達している。セーヌ流域のパリ盆地では,ケスタ地形が著しく,盆地の外側に向かっていくつかの急崖の列が見られる。気候は大部分が西岸海洋性気候の地域で,比較的温暖で降水も一年を通じている。しかし,地中海岸は温帯冬雨気候(地中海式気候)を示し,コートダジュールは世界的な観光地となっている。前6~前1世紀にケルト人が住みついたが,その後古代ローマ人,さらにゲルマン系のフランク民族が進出した。住民の 80%近くを占める今日のラテン系のフランス人は,これら諸民族の混血によって形成された。住民の大部分がフランス語を話し,およそ 3分の2がキリスト教のカトリックの信者。政治制度はアメリカ型大統領制とイギリス型議院内閣制の折衷型で,元首は大統領。従来の議会優位の伝統がドゴール政権時代から大統領優位の体制に変えられた。議会は下院の国民議会と上院の元老院からなり,政党は多党制が特色である。フランスは,高度に発展した資本主義国のうちでは農業の占める比重が高く,経営面積 5~35haをもつ独立経営の「小農民の国」として知られる。伝統的にコムギとブドウづくりが中心の農業で,コムギは輸出能力があり,ワインは食生活に欠かせないものとなっている。工業は長い間,織物が中心で重工業化は遅れたが,ロレーヌの豊富な鉄鉱資源をいかして発展した。第2次世界大戦後は経済の民主化や産業の国有化の計画が進められ,電力,ガス,銀行,鉄道,航空などの国有化に加え,自動車,航空機,アルミニウム工業の半数ほどが国有化されるなど,国営企業と私企業の「混合経済」によって発展してきたが,1980年代半ばから徐々に民営化が進んだ。ヨーロッパ連合 EU,北大西洋条約機構 NATO加盟国。(→フランス史

フランス
France, Anatole

[生]1844.4.16. パリ
[没]1924.10.13. ツール近郊サンシールシュルロアール
フランスの小説家,批評家。本名 Anatole François Thibaut。古書商の子として生れた。皮肉かつ傍観的な懐疑主義者で,自然主義,象徴主義を批判する一方,権力に対しても批判的でドレフュス事件後社会主義に接近した。また,客観的科学的批評に対して印象批評を唱えた。 1896年アカデミー・フランセーズ会員。 1921年ノーベル文学賞受賞。主著,小説『シルベストル・ボナールの罪』 Le Crime de Sylvestre Bonnard (1881) ,『タイス』 Thaïs (90) ,4部作『現代史』 Histoire contemporaine (97~1901) ,『神々は渇く』 Les Dieux ont soif (21) ,評論集『文学生活』 La Vie littéraire (4巻,1888~92) 。

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旺文社世界史事典 三訂版 「フランス」の解説

フランス
France 原名 La République Francaise

ヨーロッパ中西部にあり,北部・西部は大西洋に,南東部は地中海に面する共和国。首都パリ
国名はフランク(Frank)王国に由来する。前2世紀に先住のケルト人を平定してローマ人が属州(プロヴィンキア)のガリアを経営したが,5世紀にゲルマン人の大移動の結果,フランク王国が形成された。カール1世(大帝)の死後,ヴェルダン条約(843)・メルセン条約(870)によって西フランク王国となった。カペー朝(987〜1328)の時代には封建制度が発展したが,次のヴァロワ朝(1328〜1589)の時代には百年戦争(1338〜1453)に勝って中央集権化が促進され,フランソワ1世の時代にはフランス−ルネサンスの盛時を迎えた。宗教争乱を収拾して成立したブルボン朝(1589〜1830)は絶対主義の基礎を固め,ルイ14世の親政期はその全盛時代であった。しかし,アンシャン−レジーム(旧制度)に対する市民階級の不満が高まり,1789年フランス革命が勃発,立憲王政から共和政(第一共和政)へと移行した。1804年のナポレオン1世の第一帝政をへて,14年にブルボン朝が復活したが,その反動政治は1830年の七月革命によって倒れ,1848年には二月革命で第二共和政が成立した。やがて独裁権を握って第二帝政をしいたナポレオン3世は普仏 (ふふつ) 戦争に敗れて退位し,第三共和政(1870〜1940)が成立した。三国協商を結んでドイツ・オーストリアを破った第一次世界大戦後の政局は左右にゆれたが,第二次世界大戦では国土の大部分をナチス−ドイツに占領され,戦後,第四共和政が成立した。さらに,インドシナ・アルジェリア植民地では民族運動が高まり,政局は不安定となったが,事態を収拾したド=ゴールにより,1958年に第五共和政が成立した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「フランス」の解説

フランス

ヨーロッパ西部に位置する国。漢字表記は仏蘭西。カペー朝以来王朝支配が続き,ブルボン朝では絶対王政の全盛期を迎えたが,1789年のフランス革命後に第1共和政が成立した。フランスを訪れた最初の日本人は1615年(元和元)の支倉常長一行,最初の来日フランス人は36年(寛永13)に密入国したギヨーム・クールテ神父。1858年(安政5)ナポレオン3世(第2帝政)は全権公使グロを派遣して日仏修好通商条約を締結。64年(元治元)赴任の2代目公使レオン・ロッシュは江戸幕府を支援して横須賀製鉄所や横浜仏語伝習所を建設。67年(慶応3)フランス軍事顧問団が来日。同年パリ万国博覧会に徳川昭武が将軍名代として赴くが,その前後からジャポニスムがフランス芸術に大きな影響を与えた。明治期以降は岩倉遣欧使節団の訪問,自由民権論へのフランス啓蒙思想の影響,法律顧問ボアソナードの法典編纂,日清戦争後の三国干渉などの関係をもった。交流の中心はとくに文学・思想・教育・絵画・演劇など文化面にあり,日本に与えた影響は計り知れない。太平洋戦争直前には日本軍がフランス領インドシナへ進駐。第2次大戦で本国はドイツに占領されたが,戦後ド・ゴールの政府が成立,第4共和政が発足した。1951年サンフランシスコ講和条約に調印。58年から第5共和政。正式国名はフランス共和国。首都パリ。

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世界大百科事典 第2版 「フランス」の意味・わかりやすい解説

フランス【France】

正式名称=フランス共和国République française面積=54万7026km2人口(1996)=5831万人首都=パリParis(日本との時差=-8時間)主要言語=フランス語通貨=フランfrancヨーロッパ大陸の西部にある共和国。ヨーロッパに位置する本国のほかに,世界各地に海外県,海外領土をもっている。
【自然】
フランスは,面積は世界各国のうち45位,人口(ともに本国のみ)は16位(1989年央国連推計による)であるが,近・現代史においてしばしば四大国あるいは五大国の一つに数えられてきた。

フランス【Anatole France】

1844‐1924
フランスの小説家,詩人,評論家。本名ティボーAnatole‐François Thibault。セーヌ河畔の古本屋の息子として生まれた彼は,若年から古書を通じて古典の世界に,河畔からのパリ風景を通じて古都の美に眼を開いていた。ルコント・ド・リールの知遇を得て,高踏派詩人として《黄金詩集》(1873)を発表するが,やがて関心は小説の方に向いていく。小説家としての名声が高まったのは,《シルベストル・ボナールの罪》(1881)によってである。

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デジタル大辞泉プラス 「フランス」の解説

フランス

ポピー製紙が販売するトイレットペーパーの商品名。古紙を使用。シングル、個包装。

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世界大百科事典内のフランスの言及

【ナシオン】より

…フランス語で民族・国民・国家を意味し,フランス共和国と関連した形で,国家ないし国民を指す場合に使う。〈ナシオン〉は,〈自由・平等・博愛〉という政治的理念を共有する人々による契約共同体ないしは合意共同体という性格が強く,そこでは人種・民族や血統は二義的な重要性しかもたない。…

※「フランス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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