日本歴史地名大系 「灰野村」の解説 灰野村はいのむら 長野県:須坂市灰野村[現在地名]須坂市豊丘上(とよおかかん)町・豊丘町現須坂市東部。北は東端群馬県境破風(はふ)岳北西支脈の雨池(あまいけ)山・奈良(なろう)山・明覚(めいかく)山の線で現上高井郡高山(たかやま)村と境、西北は明覚山・汁垂(しるたれ)山・坂田(さかた)山・堂場(どうば)山の線で現須坂市日滝(ひたき)地区・坂田(さかだ)町と境、東は破風岳・土鍋(どなべ)山(乳山)の線で現群馬県吾妻郡嬬恋(つまこい)村と境、南は土鍋山北西支脈米子(よなこ)山・北麓灰野川・以西灰野川の線で現須坂市米子町・塩野(しおの)町・村石(むらいし)町と境する。西北部山麓を西流する奈良川が南限の灰野川に合し、灰野川は更に村西端で米子川と合し百々(どど)川となる。 灰野村はいのむら 愛知県:宝飯郡御津町灰野村[現在地名]御津町金野(かねの)広石(ひろいし)村の北東、宮路(みやじ)山と御堂(みどう)山の間にあり、国坂(くにさか)峠を越すと五井(ごい)村(現蒲郡市)に至る。御油(ごゆ)(現豊川市)より国坂峠を越えて五井に至る国坂道が通る。「吾妻鏡」建久五年(一一九四)一〇月一七日条に「歯御療治事、頼基朝臣注申之、其上献良薬等、藤九郎盛長伝進、彼朝臣者、参河国羽渭庄、為関東御恩、所令領知也」とある羽渭(はい)庄の地かとする説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by