石を積み上げて墓室を覆ったもので,ケルンcairnとも呼ばれる。墳丘が積石であるのが一般的な地域では,cairn(積石塚)という言葉は,しばしばbarrow(塚)と同義語に使われる。主として,積石用の石材が豊富な海岸とか河川に近いところや,山間部などで築造された。積石塚は,単に土壙や石棺・石室などの埋葬施設を保護する簡単な構造のものから,墓域を構成するものや,さらに壮大な墳丘墓まで,実に多様である。積石塚は,ヨーロッパ,シベリア,インドをはじめ世界各地で,新石器時代から歴史時代にいたるまで,地域と時代を異にして広範に分布している。東アジアでは,まず日本の例をみると,最古例として早く縄文時代後期終末から晩期最初頭のころ,土坑墓群の墓坑上に積石状の配石を設けたものが,北海道新ひだか町の旧静内町の御殿山遺跡で知られる。この場合は,墓標のような役割を果たしたものであろう。積石塚の顕著なものは,古墳時代に入って知られるが,発生期の積石塚は,徳島県東みよし町の旧三好町の東原墳墓群や,同じく鳴門市の萩原墳墓群において認められる。前者では,直径2m前後の円形を呈する積石塚が多数見つかり,弥生時代の集団墓の状況を思わせたが,後者においては,柄鏡式の前方後円墳の形状をした積石塚が出現しており,定型化した前方後円墳以前に,古墳時代の首長墓的な積石塚が出現しているといわれる。同じ四国の香川県高松市の石清尾山(いわせおやま)の丘陵上に分布する積石塚群(石清尾山古墳群)は著名である。ここでは石清尾山に産出する安山岩の石塊を利用して,竪穴式石室を包蔵する比較的大規模な前方後円墳,双方中円墳や円墳・方墳状の小形積石塚など,4,5世紀ごろの積石塚が30基前後知られている。中部地方の長野市の大室古墳群も著名で,奇妙山の山麓に,7世紀ごろの小規模な積石塚の横穴式石室墳が500基ほど報告されている。中国地方では,山口県萩市の見島ジーコンボ古墳群が知られており,島の礫浜堤に,横穴式石室系統と箱式石棺に近い形のものを埋葬施設とする小型の積石塚が,築造当時で推定約200基築かれている。ここでは9世紀前葉まで下るものも含まれる。このような島嶼の礫浜堤に営造された例は,九州でもいくつか知られる。
朝鮮では,無文土器(青銅器)時代にすでに認められる。すなわち,北部の黄海北道沈村里遺跡や,南部の大邱直轄市大鳳洞遺跡でみられるように,支石墓,箱式石棺,竪穴式石室などの埋葬施設を補強するために,その周囲に積石を行い,しかも,それらが数基密集して築かれた結果,一定の墓域を形成するような例がある。しかし本格的な積石塚は,《三国志》魏書高句麗伝に〈積石為封〉とあるように,三国時代高句麗の前・中期に特徴的な墓制として有名である。高句麗の積石塚はいずれも方墳であり,紀元前後のころから4世紀末ごろまで,主として高句麗の建国時の首都であった,現在の中国遼寧省の桓仁付近や,中期の首都であった,同じく吉林省の集安を中心として,鴨緑江とその支流の流域一帯に集中的に分布している。初期の積石塚は,1辺数mの小規模なものが,1ヵ所に多数が集中して,あたかも集落に対応する共同墓地のような印象を与える。最盛期には,墳丘の裾に基壇が設けられたり,墳丘が数段に築成されるものが出現するが,その数は多くない。そして終末期には,さらに数は減少するが,集安の将軍塚でみられるように,基底部の1辺約30m,高さ約12mのピラミッド形の7段築成の大規模なものが出現して,帝王陵のような壮大さを示す。ただしこの場合,切石を整然と積んでいて,これまでみてきた積石塚とは趣を異にする。百済でも初期にわずかながら積石塚が認められる。百済初期の首都の故地にあたる,ソウル特別市の石村洞4号墳は,基底部の1辺が約十数mの,扁平な割石積みの3段築成のピラミッド形を呈し,さきの将軍塚を想起させる。《三国史記》百済本紀に,百済の建国者温祚王は,高句麗の始祖朱蒙の第3子であるという伝承があり,これを考慮すると,百済初期の積石塚は,高句麗墓制の影響下で出現したといえよう。新羅の古墳は積石木槨墳とも呼ばれるように,独特の構造をもっているが,封土の下に木槨を覆って積石がみられる。この積石は,高句麗もしくは,さらに北方草原地帯のクルガンの中の積石塚に系譜を求められるかもしれない。中国では,高句麗の積石塚を除くと,東北地方の遼東半島にあって,遼寧省大連市の老鉄山や四平山(四平山遺跡)の丘陵地に,中小の積石塚が多数知られるが,いずれも新石器時代の竜山期に属する。
執筆者:西谷 正
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古墳時代の墓制の一種。盛土(もりつち)で墳丘を築く古墳に対し、石を積み上げて墳丘を構築する古墳を積石塚または石塚とよぶ。またケルンcairnともいい、世界各地に分布する。墳丘形態は円墳が多いが、方墳、前方後円墳、双方中円墳もみられる。わが国では九州、中国、四国、東海、中部、関東の各地方に及び、地方によって分布に濃淡の差がある。西日本の積石塚には4世紀から5世紀に属する前・中期古墳と、6、7世紀の後期に造営されたものの2時期があり、東日本では中・後期から終末期にかけて築造されている。積石塚の生成は朝鮮半島の墓制の渡来とする説と、石材の容易に入手しうる立地環境の差から生ずるとする説がある。長野県大室(おおむろ)古墳群、山梨県横根(よこね)古墳群、愛知県旗頭山(はたがしらやま)古墳群、香川県石清尾山(いわせおやま)古墳群、山口県見島(みしま)ジーコンボ古墳群が有名である。
[大塚初重]
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…五女山城は,通化に通ずる陸路と渾河の水路を扼する交通の要衝にあり,三方が高い山や絶壁で囲われ,二つ以上の谷間をとりこみ,南方だけが緩斜面になっている地形(栲栳(こうろ)峰)に山城を作っている。この地方の高句麗墓は主として積石塚で,シベリアから伝わり,高句麗で発展した墓制である。これらの古墳から出土した土器類には中国土器の影響がみられる。…
…地上に標識を残さないのは盗掘を防いだものであろう。
[墳丘と墓室]
墳丘を築く場合には,土を盛るもののほか,石を積み上げた積石塚(ケルンcairn),土を盛り,表面全体あるいは一部を切石で化粧したり,石塊を葺いたり(葺石(ふきいし)),周囲に立石を配するなど各種の外装を施したものがある。フランス南西部のルグルドゥRegourdou洞窟では遺体の上に石積みがあり,墳丘状施設の最古の例をなしている。…
※「積石塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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