日本歴史地名大系 「炬口庄」の解説 炬口庄たけのくちのしよう 兵庫県:洲本市炬口浦炬口庄洲本川河口部北岸、現炬口地区一帯に比定される。康治二年(一一四三)八月一九日の太政官牒案(安楽寿院古文書)のうちに、「南限炬口庄堺」とみえ、安楽寿(あんらくじゆ)院(現京都市伏見区)領淡路国津名(つな)郡菅原庄の南にあった。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に山城石清水(いわしみず)八幡宮の宮寺領の一所として炬口庄がある。その後元暦二年(一一八五)一月九日、源頼朝が石清水八幡宮領に対する武士の狼藉停止を命じた際、炬口庄もその保護の対象となった(「源頼朝下文案」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by