日本歴史地名大系 「点野村」の解説 点野村しめのむら 大阪府:寝屋川市点野村[現在地名]寝屋川市点野一―六丁目・葛原(くずはら)一―二丁目・仁和寺本(にわじほん)町一丁目茨田(まんだ)郡に属し、淀川左岸に沿う。東は池田(いけだ)村・葛原村。淀川国役堤上を京街道が通る。集落は村域のほぼ中央部にある。東境には幅二間の点野囲い堤防があり南の対馬江(つしまえ)囲い堤防に通じた。古くは「〆野」とも書いたようで、「河内国小松寺縁起」に載せる久安元年(一一四五)の近衛天皇綸旨に「卜(〆)野郷」がみえる(ただしこの文書は検討を要する)。中世には点野庄があった。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高三六六石、小物成として蓮年貢米三石七斗余・葭島高四石五斗余。延宝年間(一六七三―八一)の河内国支配帳は四八七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by