熊田郷
くまだごう
中世戦国期にみえる郷村名で、現丸森町小斎辺りとするが不詳。永正一七年(一五二〇)四月二日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「伊具之庄東根熊田郷之内、十二窪一宇、年貢一貫文之所」とあり、佐藤孫右衛門に買得の地を安堵している。現在小斎地内の南、迫に十二窪という屋敷名が残る。天文七年(一五三八)の段銭古帳の「伊貢之庄」のうち「こさい」に続き、「二十二貫六百九十文 くまたかう」とある。なおこれに続き「志またかう」「ゑたのかう」「かく田かう」などとあり、それぞれ現角田市の大字島田・枝野・角田に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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