熊野城跡(読み)くまのじようあと

日本歴史地名大系 「熊野城跡」の解説

熊野城跡
くまのじようあと

[現在地名]八雲村熊野

熊野大社南方の要害ようがい(二八〇・六メートル)にある山城跡。熊野氏の居城で、富田とだ(現広瀬町)防備のための重要拠点の一つとされ、永禄六年(一五六三)一一月一三日の吉川元春軍忠状(吉川家文書)に「熊野表」とみえ、同年九月一〇日には吉川元春軍が攻め、激しい攻防が展開された。熊野氏は同八年一月一一日に毛利軍に降り(一月二八日「毛利元就書状」厳島野坂文書)、翌年には富田城も落ちたが、同一二年の尼子復興戦には再び尼子方として決起し、翌年二月末以後毛利軍の激しい攻撃が展開された(二月二〇日「吉川元春書状」毛利家文書、二月三〇日「毛利輝元書状」閥閲録)。しかし四月に至っても熊野城は容易に落ちなかったようで、毛利輝元は四月二〇日に向城数ヵ所を築くよう命じている(「毛利輝元書状」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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