日本歴史地名大系 「燧城跡」の解説
燧城跡
ひうちじようあと
今庄の南背後、
と記す。同書によれば、寿永二年(一一八三)四月、木曾義仲追討のため北国に下向した平家の軍兵を迎え撃つために、源氏方の
南北朝期には「太平記」巻一七にみえる今庄九郎入道浄慶が足利方として在城したらしく、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
今庄の南背後、
と記す。同書によれば、寿永二年(一一八三)四月、木曾義仲追討のため北国に下向した平家の軍兵を迎え撃つために、源氏方の
南北朝期には「太平記」巻一七にみえる今庄九郎入道浄慶が足利方として在城したらしく、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...