燧城跡(読み)ひうちじようあと

日本歴史地名大系 「燧城跡」の解説

燧城跡
ひうちじようあと

[現在地名]今庄町今庄

今庄の南背後、藤倉ふじくら山が東へ延びる一支脈の東端、今庄からの比高約一四〇メートルの山頂(二六八メートル)にある。「源平盛衰記」巻二八は当城のことを

<資料は省略されています>

と記す。同書によれば、寿永二年(一一八三)四月、木曾義仲追討のため北国に下向した平家の軍兵を迎え撃つために、源氏方の平泉へいせん(跡地は現勝山市)の長吏斎明らが当城に立てこもり、能美川(日野川上流)新道しんどう(鹿蒜川)をせき止めて周囲に水をたたえ対陣した。しかし斎明の変心で、当城は平家方に落ちた。「平家物語」にも「火打合戦」の章がある。

南北朝期には「太平記」巻一七にみえる今庄九郎入道浄慶が足利方として在城したらしく、かなさき(跡地は現敦賀市)に向かう新田方を阻もうとしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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