日本大百科全書(ニッポニカ) 「今庄」の意味・わかりやすい解説
今庄
いまじょう
福井県中南部、南条郡にあった旧町名(今庄町(ちょう))。現在は南越前(みなみえちぜん)町の中・南部を占める地域。1955年(昭和30)湯尾(ゆのお)、今庄、宅良(たくら)、堺(さかい)の4村が合併して町制施行。2005年(平成17)南条(なんじょう)町、河野(こうの)村と合併、南越前町となる。旧町域は、日野川上流域に位置し、南東部を岐阜県と、南西部を滋賀県と接する。JR北陸本線、国道365号、476号が通じ、北陸自動車道の今庄インターチェンジがある。古来、畿内(きない)から北陸へ通じる陸路の入口にあたり、敦賀(つるが)を経て西近江(おうみ)路につながる木ノ芽峠(きのめとうげ)、北国街道(ほっこくかいどう)の栃ノ木峠(とちのきとうげ)を控えて、中心の今庄地区は昔は重要な宿場町であった。北陸本線開通後も、木ノ芽山地を重連の蒸気機関車で越えたため、機関車基地の鉄道の町として栄えたが、電化と北陸トンネルの開通でさびれた。農業と林業の兼業農家が多い。つるし柿(がき)、ソバは古くからの特産品。現在は国道365号で越える栃ノ木峠は、虎杖崩(いたどりくずれ)といわれた険路(けんろ)で、柴田勝家(しばたかついえ)が織田信長の居城安土(あづち)への近道として改修したもの。峠下の板取(いたどり)は古い宿場の町並みを残す。木ノ芽峠は、830年(天長7)越前国(福井県)百姓上毛野陸奥公(かみけのむつきみ)が、鹿蒜(かひる)山に開いたと伝え、中世以来しばしば戦場となり、道元(どうげん)、蓮如(れんにょ)らもまたここを越えた。西近江路は古代の北陸道で、敦賀からは舟で敦賀湾の東岸に渡り山越えしたが、『延喜式(えんぎしき)』の鹿蒜駅の位置は不明。また、帰山(かえるやま)は万葉以来の歌枕(うたまくら)となり、峠付近の山地に名を残す。ほかに源平時代の燧(ひうち)城跡、曹洞(そうとう)宗の古寺慈眼(じげん)寺、国の名勝の伊藤氏庭園が残る。
[島田正彦]
『『今庄町誌』(1979・今庄町)』