日本歴史地名大系 「今庄村」の解説
今庄村
いまじようむら
北流する日野川に
朝倉氏時代にもここに関所が設けられたらしく、享禄二年(一五二九)の六月二〇日付某書状(朽木文書)にも次のようにある。
元亀三年(一五七二)一一月、興福寺大乗院尋憲の従者が北国へ下向した際の費用を報告したなかにも「三百六十文今しよう吉田殿役所」とあり(尋憲記)、三尾河内轆轤師衆中宛の元亀三年六月一九日付吉田新兵衛尉正久役銭免許状写(浄光寺文書)にみえる吉田氏が今庄を治めて、関所を支配したらしい。
なお当地には金山があったらしく、慶長三年(一五九八)蔵納目録(「今庄村誌」所収)に「浅野長政、今庄金山五枚五両二匁六分」とあり、当村で製錬したらしい。今庄北方の
天正三年(一五七五)頃、織田信長に仕えた赤座吉家が隣村
今庄村
いまじようむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報