朝日日本歴史人物事典 「片岡万平」の解説
片岡万平
生年:明和7(1770)
江戸後期の百姓一揆の指導者,義民。常陸国(茨城県)河内郡幕府代官所生板村百姓であったが,文化14(1817)年,凶作による減免を要求して同村妙行寺に百姓らが集会した際,同村市左衛門・与五右衛門と共に頭取となる。周辺村々百姓ら450人あまりと代官吉岡次郎右衛門の江戸邸に門訴したが,聞き届けられなかったため,3人はさらに奉行所へ越訴を決行して入牢となった。3人は翌年1月にかけて吟味中に牢死し,そのほか多数が処罰された。のち3人は生板の三義民として祭られ,文政6(1823)年に妙行寺に三義民慰霊塔が建立され,昭和41(1966)年には没後150年顕彰供養がなされ,同47年には三義人顕彰会が結成されるなど,現在まで三義民の顕彰が続いている。<参考文献>中村永伯『義人片岡万平伝』,三義人顕彰会編『生板の三義人』
(斎藤善之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報