クルーゼンシュテルン(読み)Kruzenshtern,Ivan Fedorovich

朝日日本歴史人物事典 「クルーゼンシュテルン」の解説

クルーゼンシュテルン

没年:露暦1846.8.12(1846.8.24)
生年:露暦1770.11.8(1770.11.19)
18~19世紀のエストニア生まれのロシアの提督。ロシア領アメリカ植民地を本国と結ぶ世界交易路の開発を政府に上申,1803~06年に「ナデジダ号」の艦長としてロシア船最初の世界周航を実現した。その途中文化1(1804)年には遣日使節レザーノフを送って長崎に来航。その後北海道西岸,樺太の南岸と東岸,千島列島測量し,さらに樺太北岸とアムール河口も調査した。樺太が離島であることは確認できなかったが,その科学的成果のゆえラ・ペルーズ,ブロートンと並んで北太平洋の三大航海者のひとりに数えられている。著書『世界周航記』(1809~12)は有名で,わが国でもすでに文政末(1828年頃)に青地林宗が『奉使日本紀行』の書名で蘭訳本から抄訳した。

(秋月俊幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「クルーゼンシュテルン」の解説

クルーゼンシュテルン Kruzenshtern, Ivan Fyodorovich

1770-1846 ロシアの軍人
1770年11月19日生まれ。日本への使節レザノフをのせた世界周航艦隊を指揮して,1803年クロンシュタットを出港西回りで文化元年(1804)長崎につく。通商交渉を幕府に拒否されたのち,日本海を北上,北海道,千島などの沿岸を測量。ロシア人最初の世界一周をはたし,1806年帰国した。のち海軍大将。1846年8月24日死去。75歳。エストニア出身。著作に「世界周航記」など。

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367日誕生日大事典 「クルーゼンシュテルン」の解説

クルーゼンシュテルン

生年月日:1770年11月19日
ロシアの探検家,海軍士官
1846年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルーゼンシュテルン」の意味・わかりやすい解説

クルーゼンシュテルン
くるーぜんしゅてるん

クルゼンシュテルン

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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