ノース(読み)のーす(英語表記)2nd Earl of Guilford, Frederick North

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノース」の意味・わかりやすい解説

ノース(Douglass Cecil North)
のーす
Douglass Cecil North
(1920― )

アメリカの新制度学派の経済学者。マサチューセッツケンブリッジ生まれ。1952年、カリフォルニア大学バークリー校で博士号を取得。ワシントン大学、ライス大学、ケンブリッジ大学教授を歴任したのち、1983年からふたたびワシントン大学教授となる。1993年、R・W・フォーゲルとともに、「経済発展と制度的変化の説明に新古典派理論と計量的手法を導入し、計量経済史を開拓」したとして、ノーベル経済学賞を受賞した。

 ノースはアメリカ、ヨーロッパの長期的な経済発展を研究し、諸制度が経済成長に果たした役割を分析した。1860年以前のアメリカの経済成長を説明する際、新古典派理論によって解明した。海運業の研究では、技術的な変革よりも、制度や組織上の変革のほうが海運の発展に大きな役割を果たしたことを実証した。1970年代以降は、財産権などの制度の確立が経済発展に果たす役割を分析した。

[金子邦彦]

『竹下公視訳『制度・制度変化・経済成果』(1994・晃洋書房)』


ノース(2nd Earl of Guilford, Frederick North)
のーす
2nd Earl of Guilford, Frederick North
(1732―1792)

イギリスの政治家。1754年に下院に入り、大蔵委員(1759~1765)、陸軍支払総監(1766~1767)などを経て、1767年秋、蔵相となった。堅実な政治家として国王ジョージ3世からも議会からも信頼され、1770年には首相に任じられたが、彼の首相在任中に北アメリカ植民地との関係が悪化し、独立を宣言したアメリカとの戦争を指導する最高責任者となった。閣内の不一致、野党反対、議会外の政治改革運動などにも苦しめられ、戦局が絶望的となった1782年3月に辞任に追い込まれ、翌1783年に内相として一時政権に復帰したものの、以後は野党生活が続いた。晩年は盲目となり、1790年に父の伯爵位を継いで上院に移った。

青木 康]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノース」の意味・わかりやすい解説

ノース
North, Frederick, 2nd Earl of Guilford

[生]1732.4.13. ロンドン
[没]1792.8.5. ロンドン
イギリスの政治家。 1754年下院議員。支払総監 (1766~67) ,蔵相 (67~70) を歴任して,70年首相となり,以後 12年間政権を担当。首相在任当初は,インド問題 (イギリス東インド会社のベンガル取得に伴う国王の主権問題) ,J.ウィルクスの議会除名問題を解決し,またアメリカ植民地との摩擦を避けるため,茶税以外のタウンゼンド諸法を撤廃するなど 74年頃までは順調であったが,ボストン茶会事件以降多くの懲罰処置をとったため,アメリカ独立戦争が勃発。国王ジョージ3世の強硬策を支持し,結果的にイギリスの敗北を招き,北アメリカ十三植民地を失った。 82年辞職,翌年それまでの政敵 C.フォックスと連立政権を樹立したが,9ヵ月で瓦解。以後ピット (小) 政権に対する反対党に参加。 90年父の死によってギルフォード伯爵を継いだ。

ノース
North, Douglass C.

[生]1920.11.5. マサチューセッツ,ケンブリッジ
[没]2015.11.23. ミシガン,ベンゾニア
アメリカ合衆国の経済学者。カリフォルニア大学バークリー校で学び,1942年学士号,1952年博士号を取得。1950年シアトルのワシントン大学教授,1967~79年経済学部長。1983年セントルイスのワシントン大学教授。その間 1961~66年経済研究所理事,1967~87年全米経済研究所理事を歴任。ロシア,アルゼンチン,ペルー,チェコの各政府の経済コンサルタントも務めた。基本的に理論家としての立場に立ち,技術革新だけでは経済発展には不十分で,市場経済を繁栄させるためには所有権のようなある種の法的社会的制度の制定が不可欠であると主張した。『経済史の構造と変化』(1981),『制度・制度変化・経済成果』(1990)など著書多数。1993年経済史家としては初めてロバート・W.フォーゲルとともにノーベル経済学賞を受賞。

ノース
North,Dudley

[生]1602
[没]1677
重商主義期のイギリスの自由貿易論者。 J.チャイルド,N.バーボン,C.ダベナントらとともにトーリー党に結集したトーリー・フリー・トレーダーの一人。若くして近東貿易で巨富を築き,帰国後スチュアート朝のもとで関税委員をつとめ,イングランドの下院議員ともなった。主著『交易論』 Discourses upon trade:principally directed to the cases of the interest (1691) のなかで彼は,貨幣は富そのものではなく単なる一商品であるから,必要量をこえた貨幣は輸出されてもよいという論拠に基づき,貿易の自由を唱えた。

ノース
North, Sir Thomas

[生]1535.5.28. ロンドン
[没]1603頃
イギリスの翻訳家。ケンブリッジ大学で学んだと思われ,そののち 1557年リンカーン法学院に入ったが,法律よりも文学に没頭,同年スペインのアントニオ・デ・ゲバラの『王侯の日時計』 Diall of Princesを訳出,次いで東洋の寓話集をイタリア語から翻訳した『ドーニ道話』 The Morall Phylosophie of Doni (1570) を出した。 J.アミヨの仏訳から重訳したプルタルコス『英雄伝』 Lives (79) は,シェークスピアのローマ史劇にも影響を与えた。

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