アメリカの新制度学派の経済学者。マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。1952年、カリフォルニア大学バークリー校で博士号を取得。ワシントン大学、ライス大学、ケンブリッジ大学の教授を歴任したのち、1983年からふたたびワシントン大学教授となる。1993年、R・W・フォーゲルとともに、「経済発展と制度的変化の説明に新古典派理論と計量的手法を導入し、計量経済史を開拓」したとして、ノーベル経済学賞を受賞した。
ノースはアメリカ、ヨーロッパの長期的な経済発展を研究し、諸制度が経済成長に果たした役割を分析した。1860年以前のアメリカの経済成長を説明する際、新古典派理論によって解明した。海運業の研究では、技術的な変革よりも、制度や組織上の変革のほうが海運の発展に大きな役割を果たしたことを実証した。1970年代以降は、財産権などの制度の確立が経済発展に果たす役割を分析した。
[金子邦彦]
『竹下公視訳『制度・制度変化・経済成果』(1994・晃洋書房)』
イギリスの政治家。1754年に下院に入り、大蔵委員(1759~1765)、陸軍支払総監(1766~1767)などを経て、1767年秋、蔵相となった。堅実な政治家として国王ジョージ3世からも議会からも信頼され、1770年には首相に任じられたが、彼の首相在任中に北アメリカ植民地との関係が悪化し、独立を宣言したアメリカとの戦争を指導する最高責任者となった。閣内の不一致、野党の反対、議会外の政治改革運動などにも苦しめられ、戦局が絶望的となった1782年3月に辞任に追い込まれ、翌1783年に内相として一時政権に復帰したものの、以後は野党生活が続いた。晩年は盲目となり、1790年に父の伯爵位を継いで上院に移った。
[青木 康]
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