牛ヶ原城跡(読み)うしがはらじようあと

日本歴史地名大系 「牛ヶ原城跡」の解説

牛ヶ原城跡
うしがはらじようあと

[現在地名]大野市牛ヶ原

牛ヶ原北方の鍋床なべとこ山中腹、東西三〇間、南北四〇間ほどの平地にある。「太平記」巻一一(越前牛原地頭自害事)に「淡河右京亮時治ハ、京都ノ合戦ノ最中、北国ノ蜂起ヲ鎮メン為ニ越前ノ国ニ下テ、大野郡牛原ト云所ニゾヲハシケル」とある、時治の拠ったのはこの牛ヶ原城と推定される。元弘三年(一三三三)六波羅ろくはら陥落後、平泉へいせん(跡地は現勝山市)衆徒に攻められて淡河氏は一族もろともに当城で滅亡した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む