平泉(読み)ひらいずみ

知恵蔵の解説

平泉

平泉は岩手県の内陸部、西磐井郡平泉町にある地名
平泉一帯は、11世紀末に奥州藤原氏の初代清衡が、岩手県南部の江刺から拠点を移した地と言われている。それまではこの土地を豪族の安倍氏が支配していたが、朝廷に反発したことがきっかけで1051年から62年にかけて前九年の役が始まる。1053年に源頼義が陸奥国守として赴任、安倍氏を牽制(けんせい)した。
一時期は安倍氏側が優勢だったが、出羽国(現在の秋田~山形県)の豪族・清原氏が頼義側に加担したことで形勢は逆転、頼義側の勝利に終わった。安倍氏は処罰され滅亡する。ところが戦功を挙げた源頼義は伊予守に配置替えとなり、奥州を支配したのは清原武則だった。
藤原清衡の父・経清は安倍氏に加担したため戦後処刑され、息子の清衡も同様に処刑されるはずだったが、母が清原氏に嫁いだことで命拾いをする。しかし、母が清原氏との間に真衡・家衡の2人の息子を生んだため、相続争いが勃発。更に源頼義の息子の義家が清原一族の内紛に介入することで、1083年から後三年の役が始まる。真衡・家衡の敗死に伴い、87年に戦いは終結。それ以降、清衡は陸奥の奥六郡と出羽の山北三郡の支配権を得る。拠点を平泉に移し、1124年に「今後、戦争のない世になるように」との願いを込めて中尊寺を建立した。奥州は金の産出が豊富で、中尊寺の金色堂は外面、内面、須弥壇(しゅみだん)まで金箔で覆われている。ちなみに最近の研究では、マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記した「黄金の国・ジパング」は平泉の中尊寺や毛越寺などに施された黄金を指している可能性が高いと言われている。
28年、清衡は中尊寺で眠るように亡くなり、遺体は金色堂に葬られた。清衡の遺志を継いで、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院を建立する。初代清衡から三代秀衡まで約100年間、奥州を藤原氏が治めたが、平安末期、兄である源頼朝との不和のため、源義経が奥州に潜伏。1189年、四代泰衡は義経を大将とするようにという秀衡の遺言にもかかわらず、義経を自害に追い込む。その後、義経を匿ったとして頼朝軍が奥州に押し寄せ、これにより奥州藤原氏は滅亡した。平泉の中尊寺・毛越寺などの寺院や庭園は藤原氏三代が仏教に基づく極楽浄土の理想世界の実現を目指して造営された。これら建造物が浄土思想を表現する目的で創造された独特の事例であることが評価され、2011年6月に世界文化遺産に登録された。登録対象は中尊寺・毛越寺・観自在王院跡無量光院跡金鶏山である。平泉は08年にも登録を申請したが見送られ、今回念願の登録が実現した。日本国内の世界遺産としては16件目に当たる。11年3月に起こった東日本大震災の影響で観光客が減っている東北地方にとって大きな喜びとなり、地元平泉町では「観光風評被害対策プロジェクトチーム」を設け、観光客の誘致にも力を入れている。

(金廻寿美子  ライター / 2011年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

平泉

12世紀、奥州藤原氏四代により、平泉文化が展開された。金色堂で知られる中尊寺などの史跡が残っている。世界文化遺産は当初、ピラミッドのように特徴的な建造物が多かったが、94年にユネスコ世界遺産委員会は、「人類と自然との共生を示す文化的景観」などに力点を置く方針を示した。これを受けて、日本政府は「浄土思想を基調とする文化的景観」をテーマに据え、毛越寺、無量光院跡など、平泉町、一関市奥州市の9の構成資産で世界遺産登録を目指している。

(2008-05-23 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

ひらいずみ〔ひらいづみ〕【平泉】

岩手県南部、西磐井(にしいわい)郡の地名。北上川貫流する。奥州藤原3代の栄えた地。平成23年(2011)、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の名で、中尊寺毛越寺観自在王院跡無量光院跡金鶏山の5件が世界遺産(文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

平泉【ひらいずみ】

岩手県平泉町の大字。平安末期に栄えた奥州藤原氏の都市。南流する北上川の西岸に位置し,北を衣(ころも)川,南は太田川に限られる。北には広大な北上盆地が広がり,南方は北上川が迂回して渓谷を形成し,西から複数の丘陵が延びる天然の要害である。いたる所に清水が湧いたと言う。坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が胆沢(いさわ)城(現岩手県奥州市水沢区)を築いた802年頃,陸奥国磐井(いわい)郡が建郡されて当地一帯は同国の中央部になった。10世紀頃衣川に関が置かれ東山道が整備された。同国の奥六郡を支配した阿倍氏前九年の役で滅んだのち,出羽の清原氏を経て遺領は後三年の役で勝利を収めた藤原清衡が継承する。清衡が平泉を本拠としたのは11世紀とされ,最初に中尊寺を建立した。1128年没して同寺金色堂に遺体のまま葬られ,中尊寺は清衡の聖廟となる。2代藤原基衡は平泉随一の毛越(もうつう)寺を建立,1157年頃没した。3代藤原秀衡鎮守府将軍・陸奥守に任じられ1187年没した。1189年4代藤原泰衡は平泉に逃れていた源義経源頼朝の圧力に屈して死に至らしめ,自身も討たれた(奥州征伐)。平泉は後家人葛西(かさい)清重の管理下に置かれて平泉保と称された。1226年毛越寺,1337年中尊寺の大半が焼失し,中世末には藤原氏が造営した建造物の大部分が消滅した。藤原氏4代の時代は摂関政治から白河・鳥羽・後白河3上皇の院政期にあたり,藤原氏は馬や金をはじめとする特産品を献上することにより都と密接な関係を持った。造寺・造仏の最盛期でもあり院政と貴族文化を支えたといえる。盛時の平泉は北端の関(かん)山に中尊寺,南東に浄土式庭園を持つ毛越寺があり両寺の堂塔は240余,同寺の東に基衡の妻が建立した観自在王(かんじざいおう)院,北上川のほとりに秀衡が建立した居館伽羅御所,西隣に同じく山城宇治平等院を模した無量光(むりょうこう)院があった。平泉文化の特色は京風文化にあり,造寺・造仏のみならず生活様式も京風であったことがうかがわれる。近世には平泉村・中尊寺村などが成立し,1889年平泉村,1953年町制施行,1955年現在の平泉町となる。現在清衡・基衡・秀衡と泰衡の頭部のミイラを安置する中尊寺,毛越寺のほか,観自在王院跡・柳之御所跡・無量光院跡など多数の遺跡がある。2011年,「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に登録された。登録された文化遺産は,中尊寺(金堂,覆堂,経蔵),毛越寺,観自在王院,無量光院跡,金鶏山。
→関連項目奥州征伐義経記世界遺産条約

平泉【へいせん】

中国,河北省北東部,承徳東方の県。別名八溝。錦承鉄路(錦州〜上板城)に沿い,東北地区から北京の関門である古北口に連絡する要地にあたる。付近は農産が豊富で,銀,石炭も産する。48万人(2014)。

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大辞林 第三版の解説

ひらいずみ【平泉】

岩手県南部の町。北上川西岸の平泉丘陵にあり、一一世紀末から一二世紀末にかけて、奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)の根拠地として栄えた。中尊寺・毛越もうつ寺などがある。

ひらいずみ【平泉】

姓氏の一。

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精選版 日本国語大辞典の解説

ひらいずみ ひらいづみ【平泉】

岩手県南部の地名。北上川が貫流。一二世紀末、藤原氏の居館が置かれて奥州・出羽両国支配の根拠地となり、独自の文化が栄えた。中尊寺、毛越寺などがある。

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