日本歴史地名大系 「牛峯村」の解説
牛峯村
うしみねむら
中世にみえる北郷の一村で、阿蘇谷東部の外輪山にかけての地域にあったと思われるが、現在地不明。建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)に渋河兵庫助が郷沙汰人である北郷のなかに「一所一町三反 牛峯村」とみえる。正平一九年(一三六四)一二月日の阿蘇社領宮地四面内并郷々闕所注文(同文書)に「うし
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中世にみえる北郷の一村で、阿蘇谷東部の外輪山にかけての地域にあったと思われるが、現在地不明。建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)に渋河兵庫助が郷沙汰人である北郷のなかに「一所一町三反 牛峯村」とみえる。正平一九年(一三六四)一二月日の阿蘇社領宮地四面内并郷々闕所注文(同文書)に「うし
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新