牧布施村(読み)まきぶせむら

日本歴史地名大系 「牧布施村」の解説

牧布施村
まきぶせむら

[現在地名]望月町布施

千曲川の支流布施川沿いの村。全長三里といわれる布施谷の入口に位置し、中山道沿いの枝郷百沢ももざわから入る。東は蓬田よもぎだ村・八幡やわた(ともに現浅科村)に接し、西は丘陵を越えて鹿曲かくま川の谷に下る。

北方御牧原みまきがはらで、古代の官牧望月もちづき牧の一放牧地を村域にもち、村名の「牧」は望月牧の牧をさすものであろう。御牧原南斜面に古墳群が残っており、また村域内に駒形神社がある。

中世は望月氏の支配下で、天正六年(一五七八)の上諏訪大宮同前宮造宮帳には「瑞籬一間 布施之郷」とみえて布施谷が一郷扱いであったことがうかがわれ、慶長一五年(一六一〇)の田野口組・畑村組・長右衛門組・望月組貫目御帳(竹内文書)に初めて牧布施村とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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