望月牧(読み)もちづきのまき

日本歴史地名大系 「望月牧」の解説

望月牧
もちづきのまき

「延喜式」に左右馬寮の「御牧みまき」として「望月牧」とある信濃一六牧の一つ。「年貢御馬」は「信濃国八十疋、諸牧六十疋望月牧廿疋」とあり、最も多い。

牧名としての望月は、仁和元年(八八五)八月一五日「牽信濃国勅旨御馬事」が行われ、続いて八月二三日に他の諸牧とは別に「牽信濃国望月御馬事」が行われたと記されている(師元年中行事)

千曲川とその支流鹿曲かくま川との間に形成された台地にあり、古くはスガマ(須加間・菅間・須釜)ともよばれ、現在は御牧原みまきがはらといわれる地域が牧の中心とされ、現小諸こもろ市・浅科あさしな村・望月町・北御牧村に属す。南を除き三方断崖によって自然の障壁をなし、高さ三メートル、基底幅四メートル、上底幅二メートルほどの土盛りをした「野馬除のまよけ」が各所に残る。

駒牽」の行事の期日は、「三代実録」貞観七年(八六五)一二月一九日条に「是日、制、信濃国勅旨牧御馬、元八月廿九日貢之、今定十五日」とあり、満月の日とされていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「望月牧」の意味・わかりやすい解説

望月牧【もちづきのまき】

信濃国佐久(さく)郡,千曲川と鹿曲(かくま)川の間にある御牧原(みまきがはら)台地を中心に設置された御牧(勅旨牧)。信濃16牧の1つ。現長野県佐久市・東御市・小諸市にわたり,浅科村(現・佐久市)には御馬寄(みまよせ)の地名がある。《延喜式》によると年貢馬は信濃諸牧で最も多い20疋。貢馬日が8月15日(後に16日)の望月の日であったことから信濃の馬は〈望月の駒〉と称されて歌にも詠まれ,16牧を代表する当牧が望月牧と呼ばれるようになったという。他牧の貢馬が途絶えてからも望月牧のみは南北朝頃まで続けていたが,1367年の10疋貢進を最後に記録から消える。なお御牧原には〈野馬除(のまよけ)〉という基底幅約4m・高さ約3m・上底幅約2mの方形の土塁が数kmにわたって残る。
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世界大百科事典(旧版)内の望月牧の言及

【駒牽】より

…おのおのの国では50匹から80匹の馬を養う。鎌倉時代末より諸国の駒牽は絶えて信濃と望月牧のみとなった。天皇は紫宸殿,仁寿殿において閲覧し,親王以下群臣が参り,貢馬の解文が出され,牽馬の儀がおこなわれる。…

※「望月牧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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