牧志村(読み)まちしむら

日本歴史地名大系 「牧志村」の解説

牧志村
まちしむら

[現在地名]那覇市牧志まきし一―三丁目・壺屋つぼや一―二丁目・松尾まつお二丁目・三原みはら一丁目・寄宮よりみや

とうまい村・安里あさとう村の南、蛇行する安里あさと川左岸低地に位置し、西は久米村くにんだ、南は与儀ゆーじ村に接する。真和志まーじ間切所属。絵図郷村帳の真和志間切に「まきし村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がない。崇禎一五年(一六四二)柳姓二世康延は真和志間切真喜志地頭職を与えられて真喜志姓を名乗り(柳姓糸冽家家譜)、康熙三〇年(一六九一)和姓七世景道は真和志間切牧志地頭職を与えられて牧志姓を名乗っており(和姓古謝家家譜)、充当文字に変化がみられる。当村は元来人居が少なく、康熙五年当時真和志間切に属していた小禄うるく村から五〇人が移住したという(「高良筑登之親雲上厨子甕銘」八重山琉染蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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