日本歴史地名大系 「牧西村」の解説 牧西村もくさいむら 埼玉県:本庄市牧西村[現在地名]本庄市牧西など榛沢(はんざわ)郡の所属。目西とも記す。利根川南岸の沖積低地の自然堤防上に位置し、西は児玉郡傍示堂(ほうじどう)村、北は同郡仁手(につて)村、榛沢郡小和瀬(こわぜ)村・宮戸(みやど)村と東西に長い村で、集落は南西に集中する。東の同郡滝瀬(たきせ)村の集落の中に飛地をもち、南部を東流する元小山(もとこやま)川の南岸に牧西新田の集落がある。村の南部、集落の中ほどを中山道がほぼ東西に通り、東端を備前渠(びぜんきよ)用水が小和瀬村から南東流する。児玉党の嫡流家長(摂津一ノ谷合戦で戦功)の弟弘季は、本庄四郎また牧西・四方田を号し(「児玉党系図」諸家系図纂)、この地に居館を構えたという(森家文書)。文明三年(一四七一)扇谷上杉氏らの七千余騎が五十子(いかつこ)陣近辺の牧西・小波瀬(小和瀬)などの一帯に陣を張って古河公方勢に対しているが、同九年には岩松家純が牧西口付近に出陣している(松陰私語)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by