本庄市(読み)ホンジョウシ

デジタル大辞泉 「本庄市」の意味・読み・例文・類語

ほんじょう‐し〔ホンジヤウ‐〕【本庄市】

本庄

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日本歴史地名大系 「本庄市」の解説

本庄市
ほんじようし

面積:三六・七二平方キロ

埼玉県の中央北端に位置し、東は深谷市、群馬県佐波さわさかい町、北は同県伊勢崎市・佐波郡玉村たまむら町、西は児玉郡上里かみさと町、南は同郡児玉町美里みさと町、大里郡岡部おかべ町に接する。群馬県との県境の山中さんちゆう地溝帯を神流かんな川が流れ、平野部へ移行する児玉郡神川かみかわ新宿の寄島しんしゆくのよりしま付近を扇頂とする扇状地は本庄台地とよばれ、北東方向へ扇端を広げている。神流川は現在その西端を北へ流路をとっているが、同川によって形成されたこの扇状地は、洪積世の高位段丘礫層の残丘である当市南端の浅見山あざみやま丘陵やその南西の生野山なまのやま丘陵などを取込んで、低位段丘の堆積物により形成されている。この扇状地を流れる中小河川は、小規模な沖積低地を形成して台地の末端に近づくと縁辺部を開析し、からす川や利根川による沖積低地に流入する。当市はその台地の末端から沖積低地にかけて立地し、利根川を隔てて群馬県に接した低地はかつて烏川・利根川の乱流地域であり、上野国との境界も流路の変遷に左右されていた。そのため古代以降から近世初頭までの当市域は大部分が児玉郡に所属したとみられるが、詳細は不明。

利根川に接していながら水利には恵まれず、ひとたび氾濫に見舞われると苦汁を強いられた地域で、集落は自然堤防を利用した微高地上にあったが、度々の氾濫はこの低地一帯を一面の海と化した。この低地と本庄台地を画する崖線は四―一二メートルの段丘をなし、直下での湧水は元小山もとこやま川となって市域北部を南東流する。台地上は畑地が多く、この段丘に接して形成された市街地の中にも、開析された小さな流路や降雨時に悪水の流路となる微低地がある。市街地の南方は台地と小河川により形成された沖積低地が複雑に入交じり、台地を切開いた女堀おんなぼり川と男堀おとこぼり川の流域には条里の遺構がみられた。この二つの流路の源は神川町の寄島で神流川から分水する九郷くごう用水で、市内南部の水田地域を潤している。市域の南端は浅見山丘陵となるが、近年は大久保山おおくぼやま丘陵の呼称が一般的となっている。東の低地から台地上の市街中央を旧中山道が東西に通り、これと途中交差するがほぼ並行して国道一七号が走り、その南をJR高崎線が通る。また、浅見山丘陵をかすめるように上越新幹線が南東から北西方向へ通り、市域南西の四方田しほうでんから今井いまいにかけて走る関越自動車道には、四方田と児玉町下浅見にまたがる本庄・児玉インターチェンジがある。

〔原始・古代〕

利根川流域の低地での遺跡の存在は確認されていないが、台地上には多くの集落跡が確認できる。


本庄市
ほんじようし

2006年1月10日:本庄市と児玉郡児玉町が合併
【児玉町】埼玉県:児玉郡
【本庄市】埼玉県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本庄市」の意味・わかりやすい解説

本庄〔市〕
ほんじょう

埼玉県北西部,利根川の中流部右岸にある市。 1954年本庄町と藤田村,仁手村,旭村,北泉村の4村が合体して市制。 2006年児玉町と合体。市域は北部の利根川沖積地,洪積台地から秩父山地北東端に広がる。北で群馬県に接する。中心市街地の本庄は台地の末端に位置し,近世には中山道の宿駅であり,2と7の日に市場が開かれて繁栄。かつては養蚕が盛んで,早くから製糸業が発達していた。現在も本庄絣 (ほんじょうがすり) の産地。第2次世界大戦中から戦後にかけて電気機器,化学,食品,木工などの工場が進出した。農村部では野菜の生産が多い。塙保己一の生家があり,国の史跡に指定されている。南部は秩父山地の北縁にあたり上武県立自然公園に属する。 JR高崎線,八高線,上越新幹線,国道 17号線,254号線,462号線が通り,関越自動車道の本庄児玉インターチェンジがある。面積 89.69km2。人口 7万8569(2020)。

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