朝日日本歴史人物事典 「牧野忠訓」の解説
牧野忠訓
生年:弘化1.8.15(1844.9.26)
幕末の長岡藩主。宮津藩主本荘宗秀4男で牧野忠恭の養子。慶応3(1867)年養父隠居のあと家督を継ぎ7万4000石を領す。同年暮れ上京し,家臣河井継之助の進言に基づき,公武合体して政局運営に当たることを建言したが容れられなかった。戊辰戦争が始まると中立の立場をとったが,官軍の進軍によって奥羽越列藩同盟に加わって抗戦,敗れて長岡より会津へ,次いで山形から仙台へと逃走,米沢で降伏し,笠間藩に預けられ領地を没収された。しかし養弟忠毅に長岡2万4000石が与えられて家名は存続した。明治2(1869)年赦免された。
(上野秀治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報