ハンガリーの詩人。ハンガリー平原のキシュケーレシュで小商人の父と女中の母の間に生まれる。各地の学校を転々とし,やがてシェムレツの高校で自主サークル活動や劇場通いに熱中し,試験に落第する。そのため父から勘当され,放浪生活が始まる。初め旅役者の一座に加わり,その後2年ほどの軍隊体験の後,短期間学業生活に戻るが,再び旅役者としてハンガリー平原の町を巡回する。その間書きためた詩を持って,詩人ベレシュマルティを訪ね,彼の推薦で《詩集》(1844)を刊行。素朴で民謡風な抒情詩は,多くの人々の心をとらえ,一躍文名を高めた。翌年発表された《勇士ヤーノシュ》(1845)は,貧しい羊飼いの少年と継母のもとで育つ娘がさまざまな障害の末に天国で結ばれるという民話調の詩で,さらに人気を高めた。彼の詩は,故郷の景色をうたった《アルフェルド》(1844)等の叙事詩,《9月の終りに》(1847)等の恋愛詩,また保守主義者に向けられた《パトー・パール》(1847)等の風刺詩などさまざまなジャンルにわたる。さらに《20世紀の詩人たち》(1847)等の愛国詩は,ハプスブルク家からの独立を望む民族主義台頭の機運と相まって,彼を真の国民詩人へと高めた。
独立戦争の序曲となった48年3月15日の市民蜂起に際し,自作の《起て,マジャール人》を民衆の前で朗読して,民族の独立と自由のための戦いに加わったが,翌年シギショアラの近くで戦死した。
執筆者:岩崎 悦子
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ハンガリーの詩人。小商人の息子として生まれ、教育熱心な父の方針により各地の学校を転々としたが、やがて旅役者の一座に身を投じた。短い軍隊生活ののち復学するが、家の没落などでふたたび旅の一座に加わり、ハンガリー平原を放浪する。この間の作品を、詩人のベレシュマルティの援助で『詩集』(1844)として発表、民衆のなかで学んだ素朴な民謡風の詩は多くの人の心をとらえ、一躍文名をはせた。『アルフェルド』(1844)など郷里のハンガリー平原と家族への思いを歌った詩や、のちに妻となる女性を歌った『九月の終りに』(1847)などの恋愛詩は比類ない叙情詩として人々に愛された。また、保守主義者を風刺した『パトー・パールさん』(1847)などの作品、さらにハプスブルク政権に抗議する『王たちを絞首台に!』(1848)などの詩を発表。民族的自由を渇望するこれらの詩は、当時のハンガリーの民族意識の高揚の機運と相まって、彼の人気は真に国民的なものとなった。独立戦争のきっかけをなした1848年3月15日のブダペスト市民蜂起(ほうき)の際、彼は自作の詩『起て、マジャル人!』を市民の前で朗読し、独立戦争に参加したが、翌年の敗戦直前、シェゲシュバール付近の戦場で倒れた。ときに26歳。ほかに民話風の長編叙事詩『勇士ヤーノシュ』(1844)が有名であり、現在もオペレッタとして上演されている。
[岩崎悦子]
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1823~49
ハンガリーの詩人。貧しい民衆の生きざまや祖国愛を歌った詩で広く人々に親われる。1848年の革命に際しては,若い知識人らとともに,ハンガリーの封建制の改革とハプスブルク帝国からの自立に立ち上がった。同年3月「立て,マジャル人」を歌って,革命の先頭に立ち,対ハプスブルク戦争に参加したが,49年独立戦争のなかで戦死した。
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