マルクス経済学(読み)まるくすけいざいがく(英語表記)Marxian economy 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルクス経済学」の意味・わかりやすい解説

マルクス経済学
まるくすけいざいがく
Marxian economy 英語
Marxistische Ökonomie ドイツ語

K・マルクスが主著『資本論』で集大成し、V・I・レーニンなどによって継承・発展させられた経済学体系をいう。

[海道勝稔]

経済学における『資本論』の位置

マルクス経済学は、19世紀の人類の三大精神源流のうちイギリスの古典派経済学を批判的に継承したものである。古典派経済学――その経済学を体系化したのがA・スミスの『国富論』(1776)である――は、資本主義の生成期に生まれ、中世の神学の妖縛(ようばく)から哲学=方法を解放した自然法の立場にたって経済学を構成し、ブルジョア社会の内面的連係を追究したものである。その役割は、封建の支配から脱却して資本の権威を打ち立てることにあった。これに対して『資本論』(第1巻1867)は、資本主義の爛熟(らんじゅく)期に生まれ、批判の方法である弁証法をもって資本主義を分析する立場であり、資本の支配、資本の権威を否定する立場であって、資本主義の内面的連係を追究したブルジョア経済学の最良部分である古典派経済学を批判して得られた経済学批判――『資本論』の副題でもある――である。それは資本主義的生産の社会的、歴史的形態の究明、「近代社会の経済的運動法則を暴露すること」(『資本論』第1版序文)である。まことに「ある与えられた歴史的に規定された社会の生産関係をその発生、その生成および消滅において研究する」(レーニン)のがマルクス経済学である。

[海道勝稔]

マルクスの経済学の成立

マルクスの哲学、経済学、科学的社会主義などに関する諸見解が形成されたのは1844年ないし1845年以降である。それまで近代社会の矛盾を宗教的、政治的に人間の自己疎外としてみいだしたマルクスは、『独仏年誌』(1844)に発表されたF・エンゲルスの「国民経済学批判大綱」に刺激されてパリで経済学の研究に着手し(「経済学ノート」として1932年に公表)、その成果は、スミスの分析水準に拠(よ)りながら近代社会の人間の自己疎外の根本を「疎外された労働」と私的所有にみる『経済学・哲学手稿』(1844執筆、1932刊)となった。1845年マルクスはパリから追放されてブリュッセルに移ったが、同地でエンゲルスとともにドイツ古典哲学を根本的に批判した『ドイツ・イデオロギー』を執筆(1845~46)、そのなかで唯物史観の基本構想を打ち出し、経済学研究の前提を確立した。1847年にはD・リカードの分析基準に拠りながら『哲学の貧困』において徹底的にP・J・プルードンを批判し、同年末にブリュッセルで行った講演をもとに資本主義の基本関係を明らかにした『賃労働と資本』(1849刊)を著した。これらの集大成としてかの有名な『共産党宣言』(1848)がある。

 マルクスは1848~49年の革命失敗後ロンドンに亡命し、1850年秋から1851年にかけて経済学研究を再開した。まず、1847年恐慌以後の資本主義の新たな発展段階のもとで、大英博物館の経済学文献を渉猟してリカード理論の克服を中心に18冊のノートを作成し、ついで1857年恐慌を契機として1857年10月から1858年5月に至る『経済学批判要綱』といわれる7冊のノートを完成した。マルクスの経済学体系プランの「資本一般」にあたるこのノートを準備として、1859年6月に『経済学批判』(第1分冊)が現れた。しかしこれは、「商品」と「貨幣あるいは簡単な流通」の2章からなるにすぎない。

 この続冊の第3章のためにふたたび1861年8月から1863年7月にかけて23冊のノートを作成し、そのなかの学説史部分の執筆中、第3章でなく独立の著作『資本論――経済学批判』とし、Ⅰ資本の生産過程、Ⅱ資本の流通過程、Ⅲ総過程の総姿容、Ⅳ学説史の4部構成を構想、1865年末までに前3部の理論的部分の草稿を書き上げ、1867年9月『資本論』第1部(資本の生産過程)を第1巻として刊行した。

 その後、一方で第1部の第2版(1872~73)とフランス語版(1872~75)を刊行し、他方で第2部の草稿を何度もつくったが、完成をみず1883年にマルクスは死んだ。これらの未完の遺稿をエンゲルスが整理して第2部(1885)、第3部(1894)を刊行した。第4部は1905~1910年にK・J・カウツキーが『剰余価値学説史』全3巻として独立著作に編集したが、1956~1962年にソ連および東ドイツのマルクス‐レーニン主義研究所の編集により『資本論』第4部(全3冊)として刊行された。

 マルクスは、この『資本論』において、ブルジョア社会内部の経済的関係の編制を、ブルジョア社会の矛盾としてもっとも簡単な経済的形態である商品の分析から始め、そのもっとも現実的、具体的概念の諸階級に終わるなかで明らかにする。そして社会的生産力の発展が資本主義社会では人間にとり疎遠なものになり、人間の諸関係が物的諸関係に転倒してしか現れないことを示している。

[海道勝稔]

マルクス以後のマルクス経済学の発展

マルクス、エンゲルス死後のマルクス経済学発展の契機となったのは、19世紀の70年代から準備され、20世紀への世紀転換期ごろから始まった資本主義の独占資本主義への転換、さらには帝国主義段階に至る新たな歴史的展開への理論的解明に関する問題である。E・ベルンシュタインは、19世紀末のこの変化から『資本論』の有効性を否定してマルクス主義の諸原理を批判したのに対し、カウツキー、A・ベーベルが擁護に回り、ここに修正主義論争が起こったが、この論争の中心点は結局、20世紀の帝国主義への変貌(へんぼう)の歴史的本質、段階把握をいかに帰着するかにあった。

 この変貌をR・ヒルファーディングは『金融資本論』(1910)において、銀行と産業との関係が資本信用、株式発行、独占により密接化し、銀行による産業の従属化の状態を金融資本ととらえ、金融資本をもって帝国主義段階の支配的資本形態であるとして、帝国主義への変貌の経済的特徴を明らかにした。これに対してローザ・ルクセンブルクは『資本蓄積論』(1913)において、マルクスの再生産表式論・拡大再生産表式の検討の結果、蓄積さるべき剰余価値の実現のためには資本主義は非資本主義的環境へ侵出せざるをえないものであり、これが帝国主義への経済的基礎であるとして、反軍国主義の理論的根拠を引き出そうと試みた。またレーニンは『帝国主義論』(1917)によって、独占段階の資本主義の特徴は、(1)独占を生むほどの高度の生産と資本の集積、(2)独占的銀行資本と独占的産業資本との融合=金融資本、そこからの金融寡頭制の成立、(3)資本の輸出、(4)国際的資本家団体の形成による世界の分割、(5)資本主義的列強間の地球の領土的分割の完了であるとして、戦争の必然と帝国主義段階が資本主義の最後の段階であり、次のより高次な社会への過渡段階であることを明らかにした。

 その後第一次世界大戦から第二次世界大戦後にかけては、資本主義の全般的危機論、国家独占資本主義への成長転化論、帝国主義世界支配体制と社会主義体制との対立の危機深化論、「第三世界」における従属論などが展開する。

 1991年末マルクス主義を標榜(ひょうぼう)して成立していたソ連社会主義が崩壊したあと、その崩壊視覚からのマルクス経済学に対する批判が加わった。それに対しマルクス主義の擁護として「マルクス主義ルネッサンス」が起こり、そのなかでマルクス経済学に対する理論的・現実的発展がみられた。たとえば、これまでの資本把握が生産重視にあったものを、資本そのものは生産のみならず流通にも存在し、この後者の重視も必要であるといったものである。理論の発展はこれまで軽視しがちな諸点への反省と解明に向けられた。このようにして批判はかえってマルクス経済学の発展と新視点の掘り起こしにつながっており、これに加えて現実分析としての公害・環境問題、途上国問題等の根本的問題も本質的に究明されている。

[海道勝稔]

日本におけるマルクス経済学の展開

日本におけるマルクス経済学の展開は、河上肇(はじめ)の『貧乏物語』(1916)、個人雑誌『社会問題研究』(1919創刊)などを嚆矢(こうし)とするが、第二次世界大戦前に顕著な形で展開されたのは、三大論争すなわち、資本蓄積=再生産論争(1921起点)、価値論論争(1922起点)、地代論論争(1928起点)であり、これを通じて経済学の各分野が確立し、戦前の日本資本主義論争が展開する。これは、日本資本主義に封建遺制を認めるか否かで、明治維新の変革の性格づけ、したがって、きたるべき革命のあり方をめぐって「労農派」(遺制否定)と「講座派」(遺制主張)との間で行われた論争である。この点は、戦後の農地改革によって遺制(寄生地主制)は払拭(ふっしょく)され、実質的に解決された。

 第二次世界大戦後は、戦前の諸論争のうえに、価値論、再生産論、恐慌論とマルクス経済学のあらゆる論点から、戦後の日本資本主義の発展、通貨問題、世界経済および環境・アジア経済の問題に至る幅広い領域にわたって、戦前の対立に新たな様相をまとってマルクス経済学の展開がみられる。

[海道勝稔]

『島恭彦他編『新マルクス経済学講座』全6巻(1972~76・有斐閣)』『富塚良三他編『資本論体系』全10巻(1984~2001・有斐閣)』『K・マルクス著『資本論』(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』『V・I・レーニン著、副島種典訳『帝国主義論』(大月書店・国民文庫)』『R・ヒルファディング著、岡崎次郎訳『金融資本論』上下(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルクス経済学」の意味・わかりやすい解説

マルクス経済学
マルクスけいざいがく
Marxian economics

K.マルクスがイギリスおよびフランスの古典派経済学を批判的に継承,発展させて体系化した経済理論。史的唯物論を基本的視座に据えている点に特徴があり,主著『資本論』でその基礎が確立された。マルクス経済学は唯物史観に基づく壮大な思想体系であるマルクス主義理論の中核を形成してきたが,これはそもそも,マルクス自身の「ブルジョア社会の解剖は,これを経済学に求めなければならない」 (『経済学批判』序言) という問題設定による。マルクス経済学の歴史はおびただしい論争の歴史でもあるが,マルクス経済学の核にある労働力の商品化 (資本賃労働関係) や剰余価値論に関しては共有し合う一定の土俵があるといえる。すなわち資本蓄積の源泉である利潤の本質は,労働力の搾取にあるという点である。だがマルクスの労働価値論を例にとると,1970年代以降に限っても,マルクス経済学内部でも肯定的な論者と否定的な論者とに分れる。根本主義者たちは,労働価値論こそがミクロ的・マクロ的な経験的データに適合していると説く。スラッファ主義者たちは,諸商品の再生産の条件や実質賃金,一般的利潤率が与えられていれば,労働価値論抜きでマルクスの主要命題が説けるという。また一方,分析的マルクス主義者たちは,合理的選択の基準から労働価値論抜きで搾取や階級形成が説けるという。このようにマルクス経済学派内で種々の論争があるが,それが今後どのように展開するにしろ,資本主義の本質,再生産,成長,恐慌,帝国主義などについてこれほど首尾一貫して説明しようとする経済学はほかに例をみず,さらにマルクス主義的分析の特徴は経済学,歴史学,社会学,哲学などの密接な連係にある以上,マルクス経済学は今後ともその理論的強度を保つことになると考えられる。

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