物出村
ものいでむら
[現在地名]能生町物出
溝尾村から約一〇町能生川をさかのぼった河岸段丘上にある。正保国絵図に高二〇石余とある。天和三年(一六八三)の検地帳(物出区有文書)では田方三反二畝余・畑方九反七畝余、本田畑共の高都合六石四斗余で、名請人九人、うち三人は溝尾村からの出作で、屋敷持百姓は三人という小村であった。かつて楠木氏の一族の多十郎之助(室橋源蔵の祖)が物出北方の城ヶ峯に蟄居し、溝尾の豪族の子息三郎左衛門と協議のうえ、物出の地を開墾、耕地を分割し、神社を建設して村を作ったという(能生谷村誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 