20世紀日本人名事典 「狩野光雅」の解説 狩野 光雅カノウ コウガ 大正・昭和期の日本画家 生年明治30(1897)年1月 没年昭和28(1953)年12月17日 出生地和歌山県 本名狩野 政次郎 学歴〔年〕東京美術学校日本画科〔大正8年〕卒 経歴松岡映丘に師事。大正10年岩田正巳・遠藤教三・穴山勝堂と新興大和絵会を結成、第1回展から昭和5年の第10回展まで製作発表を重ね「雨後落日」「高野草創」などを出品。同会を解散した6年、第12回帝展に「紀の国の春」で初入選。8年第14回帝展で「飛瀑」が特選となり、11年文展鑑査展に「雨後」で入選、最後の官展となる。この間、10年国画院の結成に同人として参画した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野光雅」の解説 狩野光雅 かのう-こうが 1897-1953 大正-昭和時代の日本画家。明治30年1月生まれ。松岡映丘にまなぶ。大正10年岩田正巳らと新興大和絵会結成に参加,「雨後落日」「高野草創」などを発表。昭和8年帝展で「飛瀑」が特選。国画院同人。昭和28年12月17日死去。56歳。和歌山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は政次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by