朝日日本歴史人物事典 「狩野甚之丞」の解説
狩野甚之丞
桃山後期の狩野派の画家。狩野宗秀の子で,永徳の甥に当たる。慶長6(1601)年父宗秀が狩野本家の光信に宛てた遺言状には甚吉の名で呼ばれている。元和5(1619)年内裏女御御所対面所の障壁画を制作,寛永3(1626)年完成の二条城二之丸御殿,同19年完成の御所の障壁画制作にも参加した。元和9(1623)年本家の貞信に宛てた一族一門の誓約書に他の有力画人と共に甚之丞も署名しており,狩野派内で枢要な位置を占めていたことがわかる。父宗秀と同じ「元秀」「真設」印を用いたため混同されやすいが,名古屋城本丸御殿対面所「風俗図襖」を甚之丞の筆とする説が強い。<参考文献>武田恒夫「真設印帝鑑図屏風と狩野甚丞について」(『国華』956号)
(榊原悟)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報