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狩野甚之丞 かのうじんのじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狩野甚之丞
かのうじんのじょう

桃山時代末期から江戸時代初期に活躍した狩野派の画家。狩野永徳の弟宗秀の子。「元秀」「真設」の印を父子で用いたと考えられるが,「真設」印の『帝鑑図屏風』,「元秀」印の『韃靼人狩猟図屏風』 (フリーア美術館) などが甚之丞の作と判断されてよい。名古屋城本丸御殿対面所の風俗図を彼の筆とする説もある。狩野派の様式転換期にあって重要な位置を占めたと思われる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

狩野甚之丞 かのう-じんのじょう

?-? 江戸時代前期の画家。
狩野宗秀の子。狩野派の中心として元和(げんな)5年(1619)内裏女御御所対面所,寛永3年二条城の御殿などの障壁画制作にかかわる。代表作に慶長19年の名古屋城本丸障壁画のうち,対面所の「風俗図」。名は元秀。号は真説。作品はほかに「帝鑑図屏風」「韃靼(だったん)人狩猟・打毬図屏風」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

狩野甚之丞

生年:生没年不詳
桃山後期の狩野派の画家。狩野宗秀の子で,永徳の甥に当たる。慶長6(1601)年父宗秀が狩野本家の光信に宛てた遺言状には甚吉の名で呼ばれている。元和5(1619)年内裏女御御所対面所の障壁画を制作,寛永3(1626)年完成の二条城二之丸御殿,同19年完成の御所の障壁画制作にも参加した。元和9(1623)年本家の貞信に宛てた一族一門の誓約書に他の有力画人と共に甚之丞も署名しており,狩野派内で枢要な位置を占めていたことがわかる。父宗秀と同じ「元秀」「真設」印を用いたため混同されやすいが,名古屋城本丸御殿対面所「風俗図襖」を甚之丞の筆とする説が強い。<参考文献>武田恒夫「真設印帝鑑図屏風と狩野甚丞について」(『国華』956号)

(榊原悟)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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