韃靼(読み)ダッタン

精選版 日本国語大辞典 「韃靼」の意味・読み・例文・類語

だったん【韃靼】

  1. 〘 名詞 〙 蒙古系部族の一つ。八世紀に東蒙古にあらわれ、モンゴル帝国に併合された。宋では蒙古を黒韃靼、オングートを白韃靼と称し、明では元滅亡後北にのがれた蒙古民族を、韃靼と呼ぶ。タタール。
    1. [初出の実例]「元朝は韃靼から出て天下を伐て取たほどに、中国の語とは別なぞ」(出典:百丈清規抄(1462)一)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「韃靼」の意味・わかりやすい解説

韃靼
だったん

元来、東モンゴル高原に遊牧したモンゴル系の一部族。タタールの音訳。8世紀中ごろの突厥(とっけつ)碑文に「三十姓タタール」として表れるのが最初で、主として内モンゴルのフルンボイル地方にいたが、のち陰山地方に勢力を伸ばし、契丹(きったん)の支配下に入った。金代に、韃靼に服属していたモンゴルがしだいに台頭し、ついにチンギス・ハンに征服された。宋(そう)代では、その北辺、陰山方面のトルコ系部族オングートを白韃靼、その北方、モンゴル高原のモンゴルを黒韃靼と称した。明(みん)代では、北方に逃れた元朝子孫を韃靼とよんだが、彼らは北元(ほくげん)と自称した。北元は、一時西北モンゴルのオイラート(瓦剌(わら))に圧迫されたが、ダヤン・ハンが16世紀初頭に内モンゴルを平定し、その子孫がモンゴル高原全土に発展した。

 なお、ヨーロッパ人は、13世紀のモンゴル西征軍の残虐さから、モンゴル軍を地獄タルタルスからきたものとみなすとともに、モンゴル軍のなかにタタール(韃靼)がいたため、モンゴルおよびその支配下のトルコ系諸族をタルタル、タタールとよんだ。これを受けて、モンゴル的要素がまったく消滅した今日でも、ロシアでは、北方トルコ系住民を行政上タタールと称している。ソ連時代は、タタール自治ソビエト社会主義共和国であったが、ソ連崩壊後の1992年ロシア連邦内の共和国タタールスタン共和国)となった。

[護 雅夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「韃靼」の意味・わかりやすい解説

韃靼 (だったん)
Dá dá

本来はモンゴリア東部に居住したモンゴル系の遊牧部族タタールを指した中国側の呼称。タタール部は11~12世紀においてモンゴリアでは最も有力な集団の一つであり,またモンゴル族の中でも多数を占めていたという。このため宋人はタタール部を韃靼と呼んだが,それは拡大してモンゴリア全体を指す呼称としても用いられた。12世紀末~13世紀初め,モンゴル部にチンギス・ハーンが出現し,モンゴル帝国が出現するに及んでタタール部の力は衰えた。しかし中国では依然としてモンゴリアを韃靼として呼ぶ習慣が続いた。明代においても東モンゴルを韃靼と呼んでいることはその顕著な例である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「韃靼」の解説

韃靼(だったん)
Dada

中国文献でさまざまな意味で使われるモンゴル人に対する呼称。8世紀頃からモンゴル高原に進出したモンゴル系遊牧諸部族はタタルと総称され,中国文献では韃靼と表記された。12世紀には,総称としてのタタル(=韃靼)とは別に,モンゴル高原東部の一部族がタタルと呼ばれた。のちに明は,元の正統を継いだ王朝だと主張し,北に去った元の子孫のモンゴル人をあえて韃靼と呼んだ。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「韃靼」の意味・わかりやすい解説

韃靼【だったん】

タタールの音訳。中国文献には唐末から見え,達旦,韃韃,達達,達打などとも書く。初めはモンゴル高原のタタール部をさしたが,のち漠北の遊牧民族の総称となった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

普及版 字通 「韃靼」の読み・字形・画数・意味

【韃靼】だつたん

北狄の族名。

字通「韃」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「韃靼」の意味・わかりやすい解説

韃靼
だったん

「タタール」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の韃靼の言及

【タタール】より

…その名は8世紀前半に建てられた突厥(とつくつ)碑文に初めて現れ,九姓タタール,三十姓タタール(トクズ・オグス)と称されている。また唐代の文献にもウイグルの支配下にあった韃靼(だつたん)の名が見えている。840年ウイグルが滅亡すると,モンゴリアには統一政権は生まれず,タタール部をはじめとする大小の遊牧集団が勢力争いを繰り返した。…

【モンゴル族】より

…遼の滅亡後,モンゴリアには,モンゴル系の部族としてタタール,ケレイト,フンギラト,メルキト,ウリヤンハイ,オイラート,モンゴル等の名が見られる。このうちタタール(韃靼)の勢力が強かったことから,中国ではモンゴリアのことを韃靼(だつたん)と呼ぶようになった。12世紀後半,モンゴル部にチンギス・ハーンが出て,モンゴル系諸部族を統一,さらにモンゴリア全体を統一し,モンゴリアにおけるモンゴル部の支配が確立するにおよんで,これら諸部族はモンゴルと総称されるようになった。…

※「韃靼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android