猪野々町(読み)いののまち

日本歴史地名大系 「猪野々町」の解説

猪野々町
いののまち

[現在地名]生野口銀谷くちがなや

口銀屋くちがなや町の東にある。銀山廻七町の一。天文一一年(一五四二)の銀山再興の頃からいち川沿いに口銀屋町の方へ集落の発展をみせ、猪野々町が形成された。「銀山旧記」天正五年(一五七七)条によれば、羽柴秀吉が生野に来て「猪野々町階元寺」で休憩し、町内の木地屋次郎左衛門が堀切間歩・大切間歩などを案内したという。元禄九年(一六九六)口銀屋から口山くちさん神社が移されている。享保一五年(一七三〇)の銀山宗門改帳(生野書院蔵)では戸数三八・世帯数五三、人数二八六。元文三年(一七三八)生野銀山一揆では当町の加奉・五人組筆頭らは過料の処分となっている(「朝来郡村々百姓強訴一件」同院蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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