朝来郡(読み)あさごぐん

日本歴史地名大系 「朝来郡」の解説

朝来郡
あさごぐん

面積:四〇二・九八平方キロ
生野いくの町・朝来あさご町・山東さんとう町・和田山わだやま

現県域の北部中央に位置する。南西部に生野町・朝来町、北東部に和田山町・山東町があり、南東部は氷上ひかみ青垣あおがき町、多可たか加美かみ町、南部は神崎かんざき郡神崎町・大河内おおかわち町、西部から北部にかけては宍粟郡一宮いちのみや町、養父やぶ大屋おおや町・養父町、北部は出石いずし郡出石町、東部は京都府天田あまた夜久野やくの町と接する。東部に三国みくに(八五五・二メートル)粟鹿あわが(九六二・三メートル)、北部に東床尾ひがしとこのお(八三九・一メートル)大倉部おくらべ(六九一・九メートル)、西部に須留するヶ峰(一〇五三・五メートル)笠杉かさすぎ(一〇三二・一メートル)だんヶ峰(一一〇三・四メートル)平石ひらいし(一〇六一・二メートル)などがそびえ、郡域をほぼ南北に北流する円山まるやま川が神子畑みこばた川・粟鹿川・与布土ようど川・東河とが川などを合流して日本海に向かう。生野町の北東部を水源とするいち川は南西流して瀬戸内海に注ぐ。

旧但馬国の南部にある当郡は、現郡域のうち朝来町・山東町の全域と、生野町の南西部を除いた地域、和田山町の北西部を除いた地域に相当する。北部は養父郡、東部は丹波国天田郡・氷上郡、南部は播磨国多可郡・神西じんさい郡・宍粟郡と接していた。郡名は古代には「安佐古」(和名抄)・「アサコ」(「延喜式」民部省)とあり、近世後期にも「あさこ」とあるが(寛政重修諸家譜)、明治期にアサゴとよぶようになっている(明治一八年「地名索引」)

〔古代〕

郡名の初見は和銅七年(七一四)一〇月と推定できる長屋王家木簡に「但馬国阿相郡」とあるもので、「播磨国風土記神前かんざき郡の条にも「但馬阿相郡」と記されるほか、同風土記餝磨しかま郡安相里の条には「但馬国朝来人」とみえる。天平九年(七三七)の但馬国正税帳(正倉院文書)でも「朝来」とあるので、これ以前に正式な表記とされたのであろう。郡内に置かれた郷は「和名抄」高山寺本によれば、山口やまぐち桑市くわいち伊由いゆ賀都かつ牧田ひらた・東河・朝来・粟鹿・礒部いそべの九ヵ郷で、同書東急本では牧田郷を欠く。天平一九年二月の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(法隆寺蔵)には「朝来郡枚田郷五十戸」とあるので、同本の脱漏と考えられる。いずれにしても養老令の規定では中郡となる。

郡家は牧田郷(遺称地は現和田山町域)に置かれたという説があり、四、五世紀の城の山じようのやま古墳・池田いけだ古墳などの大首長墓があること、大和法隆寺封戸であることなどにより、同郷が郡の中心地であるという前提であるが、古墳と郡司制とは時代差があり、封戸も郡家の近くにあるとは限らない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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