生野町(読み)いくのちよう

日本歴史地名大系 「生野町」の解説

生野町
いくのちよう

面積:一一二・〇一平方キロ

朝来郡域の南部に位置する。旧但馬・播磨の国境で、北部は朝来町・山東さんとう町、西部から南部にかけては宍粟郡一宮いちのみや町、神崎かんざき大河内おおかわち町・神崎町、東部は多可たか加美かみ町、氷上ひかみ青垣あおがき町に接する。西部にだんヶ峰(一一〇三・四メートル)平石ひらいし(一〇六一・二メートル)、南部に高畑たかはた(九八三・八メートル)、東部に三国みくに(八五五・二メートル)、北東部に青倉あおくら(八一〇・五メートル)、北部に釜床かまどこ(六四八・八メートル)があり、中央部西寄りに古城こじよう(六〇一メートル)がある。

生野町
いくのまち

[現在地名]姫路市生野町

姫路城東の外曲輪に位置する町人町竹田たけだ町の北に続く生野街道(但馬街道)沿いの南北の町筋。但馬生野町(現生野町)からの移住者による町ではないかという(大正八年刊「姫路市史」)。慶長六年(一六〇一)の町割以前に町場化が進んでいたと推測される。寛永元年(一六二四)姫路城の西に材木ざいもく町ができるまで当町と竹田町さかい町・橋之はしの町・龍野たつの町に材木屋が拡散していたという(→堺町

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報