日本歴史地名大系 「猿土村」の解説 猿土村ざるがいとむら 埼玉県:大里郡花園町猿土村[現在地名]花園町武蔵野(むさしの)原宿(はらじゆく)村の東に位置し、南は荒川(あらかわ)村、東は北根(きたね)村。北根村との境を中世の榛沢瀬(はんざわせ)道が南北に通る。原宿村とともに飯塚(いいづか)村から分村して成立し、元禄郷帳・国立史料館本元禄郷帳に飯塚村枝郷「原宿猿喰土」高三〇六石余、旗本木下領とある。しかし、寛文一二年(一六七二)の私領名主訴状(持田家文書)に「ざるがひと村深谷忠兵衛様御代官所、榊原四兵衛・島野角左衛門様御知行所三ケ村入合之地御座候」と記され、この頃には枝郷として分村していたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by